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背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示する増山たづ子さん

SONGS&WORDS

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先週、photographers' galleryの企画展「増山たづ子 ミナシマイのあとに」へ。

赤坂憲雄さん(民俗学者、福島県立博物館館長)、野部博子さん(増山たづ子の遺志を継ぐ館)、小原真史さん(司会/同企画展ゲストキュレーター、IZU PHOTO MUSEUM研究員)のトークショーに参加、小原さんと野部さんが編集された『増山たづ子 すべて写真になる日まで』(IZU PHOTO MUSEUM)をギャラリーで購入した。

同書の中に掲載されている増山さんの言葉。

「国のやることには勝てんからな、戦争もダムも、大川に蟻が逆らうようなことをしとってもしようがないで。そんなバカげたことをするよりも、本当に村がのうなってまうかもわからんから、そうならんうちに少しでもな、いろんなことを残しておこうと思うようになったんだな。残しておきたいという気持ちは、あきらめからきてるもんだな。」(P126)

「徳山村の風習などはな、やがてみんな消えていってまうでな、わからんようになってしまうのでな。のうなってしまうことはつらいな。先のことも考えていくが、やっぱし、消えていくこともイラ(※)は大事にしたいな。」(P165)
※イラ=私

自分たちの村がダム建設によってなくなってしまう。
そのことが決まってから、増山さんはカメラ(ピッカリコニカ)を入手し、村の人々や四季折々の景色などを撮り始める。

被写体である村の人々は、皆、いい笑顔をしている。
でもそれは「単純な笑顔ではない」と赤坂さん。
ダムの底に自分たちの村が沈むという事実の前に、写真を撮る増山さんと、増山さんに写真を撮られる人々。
悲しくて仕方がないからこそ「笑いたい」。写真は増山さんと村の人々との共同作業でもあったのだ、と。

「山あいに八つの集落(本郷(ほんごう)、上開田(かみかいでん)、下開田(しもかいでん)、山手(やまて)、櫨原(はぜはら)、塚(つか)、戸入(とにゅう)、門入(かどにゅう))が肩を寄せ合うようにしている徳山村のあたりは、土木開発関係の人間から見ると、ほれぼれするような地形だったんだと。人口一五〇〇人足らず、四七〇戸しかない小さな村だで、補償物件も少なくてすむし、村のもんには気の毒じゃが、これはぜひ開発すべきじゃないかと決められてまったってな。一番奥の門入だけは水没を逃れたけどな、ほかの七集落がのうなってまって、なんで残れるもんかね。結局、全村離村ということになったな。」(P8)

「うちのお父ちゃんが戦争からまんだ帰ってこんうちに、村がのうなってしまうのは大変だってな、真剣になって反対したな。ダムになっちゃかなわんてな。はじめは村一丸となって反対したんだけど、途中から割れたな。若いもんがどんどん町へ出ていくという過疎の問題があってな、この際ダムになったほうがいいという促進派とな、大事なふるさとを水底に沈めてしまったら、ご先祖様に申し訳がないという反対派に分かれたな。イラは反対派のほうだで。」(P208)

ダム建設促進派と反対派による、村内部での分断と対立。
また、戸入という一集落の住民である増山さんが徳山村全体の代表であるかのような公での印象に対し、他の集落の人からの反発のようなものもあったという。
それでも「孤立することを恐れずに増山さんは写真を撮り続けた」と、当時から増山さんと親交のあった野部さんはおっしゃっていた。
「強靭な精神と、(村の記録を残すという)使命感」が増山さんにはあったのだと。

「もうだめじゃ。いくら抵抗してもダムはできてしまう。いくら反対しても前進なしだで。そう覚悟を決めたら、今度は、ぜんぜん別な力が湧いてきたんだな。残せるものを残そうとな。」(P115)

「長い年月がな、人間の心を変えてしまうんだな。そのうえ、頼りにしていた人たちがいなくなってまったときてはな、これはあかんな、というあきらめだな。もう一刻も早くダムになったほうがいい、補償をしっかりしてもらいたいとな、そっちのほうに関心が持ってかれてまったんだな。イラもな、こんなバカげたことをやっているよりは、これは少しでも、自分の大事な村のことを残しておかなだめだとな、そういう気持ちに変わったな。ダムに反対するもんは、すでにおらん。」(P212)

縄文時代から続いてきた徳山村の自然や文化、人々の暮らし。
先祖から自分へ、自分から子孫へと続き、続いていく命の連なり。
長い時間軸の中で、自分の死後も後世へと継がれていくもの。
そうした歴史や背景が、「記録を残したい」という増山さんの思いにもつながっているのではないか。
写真を撮ることは、やがて忘れ去られてしまうことへの抵抗でもあったのではないか。

そういうお話もトークショーの中でされていた(自分のいい加減なメモ書きを参照しているので正確ではなくてすみませぬ)。

「みんな仲のいい、楽しかった村がな、ダムのためにギクシャクしてしまった。イラはな、大事なふるさとを失うだけでなく、心まですさんでしまったらえらいこっちゃって思いはじめてな、そのころから、よけいに写真を大きくしてたくさんの人に配り出したな。
同盟会のもんでも、慎重派のもんでも、みんなに不公平なく配ったな。みんな仲良く写っとる写真を配ることで、少しでも心がやわらげばいいなと思ってな。ま、配らなかったより、いいんじゃないかな。みんな、喜んでくれたよ。」
(P215)

増山さんの写真には、その村で営まれていた日常が写し込まれている。
誰もがごく当たり前に、大切な物事を大切にしながら毎日を暮らしていたのであろうことが伝わってくる。
それが全部なくなってしまう。
人為的に。
それがどういうことなのか。
増山さんの残した「記録」が、感情を強く揺さぶる。


NHKアーカイブスの増山さんの至言も。