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背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示する“個人的源への信頼”

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部屋の整理をしていたら出てきた新聞記事。
2005年1月17日付の朝日新聞朝刊。
「つながって 明日へ 特集 阪神大震災10年」という特集記事の巻頭、全面に掲載された村上春樹氏の文章。
この記事をとっておいたこと自体忘れていたくせに、改めて読んだらいろいろと深く感じるところがあった。
以下、一部引用します。

 僕は夙川で子供時代を送り、中学に入ったときに芦屋に移り、神戸にある高校に通った。もっとも感じやすい18年間を阪神間で過ごしたわけだ。そこで多くの友だちを作り、女の子と巡り会い、小説や音楽や映画と出会った。言い換えるなら、その18年間が僕という人間の魂のおおむねの形を作り上げたわけだ。大学に入ったときに東京に出て、結婚し、仕事をみつけ、そのまま東京近辺に住み続けている。関西で過ごした歳月より、こちらに出てきてからの方が今ではずっと長くなってしまったわけだが、自分の精神性のある種の地域的特性(「阪神間性」とでも言うべきか)のようなものは、たぶん死ぬまで消えないだろうと思っている。
 だから言うまでもなく、まるで空襲を受けたあとのような神戸の街の光景を、テレビの画面で唐突に目にして、強いショックを受けることになった。両親や友人たちがそこに暮らしていたということもある。彼らの安否ももちろん心配だった。しかしそれと同時に、街の崩壊そのものが、その痛ましい情景自体が僕にもたらした衝撃も大きかった。自分の中にある大事な源(みなもと)のようなものが揺さぶられて崩れ、焼かれ、個人的な時間軸が剝離されてしまったみたいな、生々しい感覚がそこにあった。
 でもそれと同時に、僕は自分が既に、その街にとってただの傍観者でしかなくなってしまっていることを実感しないわけにはいかなかった。神戸の人々が1月17日の朝に感じたはずの激しい震動を、僕は感じてはいない。それはむろん当然といえば当然なことである。「彼ら」は現実に神戸にいて、僕は現実にそこにいなかったのだから。それでも僕は何かを物理的に、肉体的に感じなくてはいけないのではないか――切実にそう感じた。(中略)どこかで僕は傍観者である立場を脱し、もう一度その街と切実に向き合わなくてはならないんじゃないか。テレビ画面の前に立ちすくみながらそう思った。

 その後、地震から4年を経た夏に『神の子どもたちはみな踊る』(雑誌掲載時は『地震のあとで』)という短編小説集を村上さんは書き始める。

 (前略)その6編の物語の中で、登場人物たちは今もそれぞれに余震を感じ続けている。個人的余震だ。彼らは地震のあとの世界に住んでいる。その世界は彼らがかつて見知った世界ではない。それでも彼らはもう一度、個人的源への信頼を取り戻そうと試みている。

傍観者である立場を脱したい、個人的源への信頼を取り戻したい。
東日本大震災以降、自分の中でくすぶり続けている個人的かつ根本的な欲求って、つまりそういうことなんじゃないのかな、と思った。
長い間ほとんど思考停止状態で言葉も失い続けているけれど、自分にとって適切な言葉に出会うことで開けていくものが確かにある。
何度読んでも、書き写していても、その度に涙がでる。
大きな何かに救われたような気持ちになる。
それは、そこに言葉があるからなんだな、と知る。
自分自身も自分の言葉にしていくことをあきらめちゃだめだな、と思う。