猫とワタシ

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背中合わせのNight&Day

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LIFE

2008年夏の北京オリンピック。
女子ソフトボールの日本VSアメリカの決勝戦をテレビで観戦した際に
7回完投勝利を遂げた上野由岐子投手(※1)の姿に心を揺さぶられ、
「自分がやりたいことを本気でやっているひとは強い」
「自分は自分のやりたいことを本気でやっていない」
と数日間考えたという。

インディーズ文芸創作誌『Witchenkare』の編集発行人、
多田洋一さんのお話である。

2008年の夏48歳だった多田さんはこのことを機に
「雑誌を作りたい、自分の作品を作りたい、やりたいことをやり残したくない」
という思いを強く持った。

それが『Withenkare』創刊のきっかけになったという。

先月15日に開催された第61回西荻ブックマーク「インディーズ文芸誌のつくりかた」

このトークイベントで一緒に出演された木村重樹さんの
こちらのブログの記事でも紹介されているように、
ライター&エディターとして多くの“メジャー誌”を手がけてきた多田さん。

出版社や企業から発行されている雑誌やPR誌などには大抵「特集」となるテーマがあり、
そのテーマに沿った取材や執筆、編集が行われ、
表紙には特集タイトルやそれに関連するコピーなどが読者の興味を引くよう視覚的に並べられる。
多田さんはそうした“メジャー誌”におけるキャッチーなノウハウやテクニックなども
キャリアとしてしっかり自分のものにしている。

だからこそ、というか、でもあえて、というか、
多田さんは「既存の雑誌とは違うものをやりたい」と
“インディーズ文芸創作誌”を自ら立ち上げることにしたのだ。

そこでまず多田さんがイメージしたのは
elレーベル(※2)、江戸屋レーベルという
国内外のインディペンデントレーベルから発売されたコンピレーション・アルバム。
そして、ハル・ウィルナーが多彩な人選で制作したトリビュート・アルバムだった。

雑誌としての特集テーマは決めない。
ジャンルを問わず、多田さんが選んだ様々な分野のライターや作家が
同じひとつの場(『Witchenkare』)で
それぞれに自由なスタイルで書きたいことを書く。
「AさんとBさんの作品が同じ雑誌に掲載されているなんて!」
「いつもルポルタージュを書いているCさんがここでは小説を書いている!」
と、読者がそういった意外性まで含めて楽しめるような雑誌を作りたい。

「これで儲けたいというわけではまったくなくて、
『Witchenkare』を仲介として書き手のことを出版社の編集者に知ってもらったり、
ここで発表したものが第一稿となって“メジャー”へと広がっていってほしい」と多田さん。
「音楽にたとえるなら別バージョンやデモトラックのような、
結果的にレアものとして後々残るような作品が生まれてきたらおもしろいだろうと思う」

『Witchenkare』創刊号は、書店の中での“輸入盤のレコード”のような存在でありたいと、
表紙には誌名を始めとする必要最低限の文字情報以外はいっさい入れなかった。
そしてその肝心な誌名は、ぱっと見にはわかりにくい下のほうにあえて入れている。
もちろんこれはいわゆる「普通」の雑誌では基本的にあり得ないことである。
でも「こういうものを作りたいから作りました」という意思表示をわたしは感じる。
そういう作り手の精神を感じて手にとったひともいたのではないだろうかとも想像する。

しかしそれはやはり売り手にとっても読み手にとっても不親切であるということで、
2号目の表紙からはタイトルを上に移動し、寄稿者の名前も入れるようになった。
1年に1回発行。
毎年寄稿者を増やし、雑誌としての改良を重ね、販路を広げ続けている多田さん。
このトークイベントではそのあたりについての具体的なお話も多く、
そこをきっちりレポートしてほしいという方もいらっしゃるかもしれませぬが、
個人的には今こうして「自分のやりたいこと」に向き合い、動き、着実に進んでいる多田さんの、
その実行力を促すきっかけとなったのがソフトボールの上野選手のプレイだった、ということが
実はものすごく心にこびりついた。

わたし自身は上野選手のその試合は観ていないのだけれども、
他の誰かの「それしかない」切実な瞬間などを目撃したときに
自分の「なんにもなさ」を自覚することは度々ある。
でもってわたしの場合は自覚しても結局そのままなのだということも自覚している。
まったくもって、自覚さえしていりゃいいってもんじゃない。

「自分がやりたいことを本気でやっているひとは強い」
わたしもこの日、多田さんのお話を聴きながら心からそう思った。

そして雑誌や本にも作り手の「本気」が必ずや現われるものなのだと改めて感じた。

読み手としての自分も、作り手の意思に感応するかのように特定の雑誌に惚れ込み
何度も繰り返し読んだりしていたことがあったじゃないか。
そういう経験があったからこそ、自分もその世界に入ってみたいと思ったのじゃないか。
そんな10代の頃のことを思い出した。


ゲストの『生活考察』編集発行人の辻本力さんは、
多田さんとはまた少し違うスタンスで雑誌を作られている。
雑誌のテーマを大きく「生活まわりのこと」と決め、
全体の6~7割のページをレギュラーの執筆者陣のエッセイで構成している。
広告も入れている。

あたりまえのことかもしれないが、やはり作りたいものがとても明確な方なのだと感じた。
「こういうものを作りたい」という目的があって、その方向性に沿ったものを作るというのは
本来至極まっとうなことなのだろう。
ただ、「執筆者や取材対象者に対して有名無名という考え方はしていない」という辻本さんの言葉、
これは“メジャー誌”にはないことのように思えた。

有名無名といえば、多田さんも創刊号の売り込みの際には
「無名」であるがゆえに苦労したとおっしゃっていた。
でもそのうちになんとなく売れてくると、売る側の反応も変わってくるものらしい。
そこにたどりつくまで、あきらめちゃだめなんだな。

自力で何かを始め、動かしていくためにはすぐにへこたれない粘り強さが必要で、
あきらめずに進み続けるためには「これをやりたい」という思いの強さが欠かせない。
そしてたとえすぐにはうまくいかなくても
そういうことも含めて自分自身が「おもしろがれる」ことが大事なのだろう。

なんだか小学生の作文みたいな感想になってきてしまったが、
このトークイベントでお話をされている多田さん、木村さん、辻本さん、
みなさんとてもいい顔をしておられた。

「『Witchenkare vol.4』も来年の4月1日に発行します。
年に1回出すと決めたから、決めたことはやります」という多田さんに
「多田さん、真面目ですね~」と辻本さん。


「インディーズ文芸創作誌のつくりかた」についてお聴きしながらも
今自分に足りないものが何なのかがはっきりと見えてくるような、
がつんとくる感じのトークイベントであった。


(※1)
2008年8月20日、北京オリンピック準決勝のアメリカ戦、同日夕刻の決勝進出決定戦の豪州戦と2試合続けて登板、いずれも延長戦となり合計318球を投げ完投(準決勝は敗戦、決勝進出決定戦は勝利)した。そして翌21日のアメリカとの決勝戦も先発して7回完投勝利、2日間3試合413球を投げ抜き、球技としては1976年モントリオールオリンピックの女子バレーボール以来となる日本の金メダルに大きく貢献した。(Wikipediaより引用)


(※2)
1984年9月、マイク・オールウェイによって設立されインディペンデントレーベルの名でショック・ヘッディド・ピーターズとクラクション5の2枚のシングルでスタート。'88年からはチェリー・レッドの資金援助を得て傘下に。現在は活動停止中。学生時代、小沢、小山田両氏は el に首ったけだったとか。最近、Would be goods のアルバムやコンピの「London Pavilion 1~3」などが再発されているので是非聴くように。(S)(パーフリ辞典より引用)