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内田樹さんのブログ記事の「大学生が読んでおくといい本」の中で、
村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)が取り上げられており、
「村上さんはご本人が繰り返し言うように「文学的天才」に
それほど恵まれていたわけではないかも知れません。
でも、自分の中に潜在する才能(身体資源も知性も想像力も含めて)を
最大限まで開花させるための努力においてはほとんど超人的です。
才能は学ぶことができませんが、才能を開花させる方法は学ぶことができます。」

と書かれているのを読んで、
あー私が村上さんのことを好きな理由はそこなのかもしれない!と思いました(単純すぎ?)。
そして村上さんに限らず、ザ・天才!な人よりも、
才能を花開かせるために超人的な努力をしている人に強烈に惹かれるし、
ものすごく好きになる。
その大きな理由が「自分にできないことだから」というのはちと情けないですが。
でもなんだかこうして自分にとって腑に落ちることを書いてくださる方にも
無条件で惚れてしまうのですな……内田先生(はーと)


最近読んだ中では↓の記事も腑に落ちました。

「1907年、ハンセン病者の収容に法的根拠が与えられ、隔離が始まった。
実際にはハンセン病は感染も発病もしにくい病気だった。
しかし、国や専門医だけでなく大衆社会も、
病気をうつされる恐怖心から強制的な隔離政策を支持した。

特に戦後は特効薬も登場し、万が一、発病しても対応できたのだから、
感染リスクを薄く社会全体が引き受けていれば、
ハンセン病者との共生ができていたはずだ。
そうしないでゼロリスクを求めた国民が、強制隔離された療養所での苛酷な生活という
重いリスクをハンセン病患者に負わせてしまった。

同じ構図が放射線を巡ってある。誰もが放射線ゼロを求めると、
既に放射線汚染があった地域からの人や物資の移動も不可能になり、
被災地の人たちに重いリスクを負わせてしまう。

政府の安全基準は満たしているが、福島産の作物なので万が一、
線量を帯びているかも知れないから買わないようにしよう。
こうした忌避行為は、原発事故の災厄を浴びた人たちを、
もう一度、間接的に殴りつけているに等しい。
そんな暴力の構図に気づかない。
ハンセン病隔離の負の歴史はいまだに学ばれていない」

(朝日新聞2011年9月27日朝刊 評論家 武田徹『断ち切られる被災地との絆』より抜粋)

原文はこちら(一部有料サイトです)


知性と想像力のある人が好きです。