猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示する4月の読んだものとかメモ

LIFE

<4月に読んだ本>
廃疾かかえて/西村賢太(新潮文庫)
大人の女が美しい/長沢節(草思社文庫)

4月も後半になってようやく本が読めるようになってきた感じで、
今月読了したのはこの2冊。でも5月はもっと読めるようになるだろう。
西村賢太氏の著作は今『小銭をかぞえて』も読みかけていて、
若干お腹いっぱいになってきた感もあるけれど、
でもやっぱりおもしろいんだよなぁ、このお方。
しかし『廃疾かかえて』の帯のキャッチコピー、
「DV欲に憑かれ、恋人をいたぶり続ける男の止みがたい宿痾。」
というのはやや煽情的すぎるというか、貫多(主人公の名)の本質とはかけ離れているように
思えて違和感というか不快感。帯に反応、っていうのもなんだけど。
長沢節氏の本はあまりよく知らずなんとなく手にとったのだけど、
この方のものの考え方、ものすごく好きだなーと思った。
とくに今の自分の心境にはまった箇所を引用させていただく。

 差別がいけないのは、それが必ず間違いだからである。差別は倫理や道徳の間違いではなしに、事実の間違いだからいけないということなのだ。たとえば次の通り。
「女はバカだ」……必ず私よりリコウな女が多いから嘘になる。
「ユダヤ人はケチだ」……私のほうがもっとケチ。
「朝鮮人は信用できない」……私のほうがずっと……。
「黒人は脚が長い」……私より短い黒人もいる。
「白人は色が白い」……日本人より黒いのがいっぱいいる。
 つまりみんな大嘘で事実として正しくない。



長沢氏が本書で書かれている趣旨とはずれるのだけれど、
どうして「事実の間違い」による差別が起きるのかと考えると、
やっぱりその原因は「無知」と「無関心」にあるのだろう、というところに行き着く。
それについては昔から多くのひとが語っていたし、
わたしもそのことについて考えることはこれまでもしてきたつもりだったけれど、
今ほど強い痛みをもって、無知と無関心の罪、
それによって起きる事実の誤認と差別の罪を感じているときはない。
罪、という表現が適切なのかはわからないけれど、
それがどれだけひとを傷つけることなのか、ということを
今までほんとうの意味で自分の問題として考えてこなかったことが恥ずかしいし情けない。

と本から話が脱線してしまったけれど、今月は映画も1本も観なかったなぁ。
でも今月はたくさんのお友達に会えた。
軽い書き方になってしまうけれど、お友達のみなさんに会う度に、
あるいはメールやブログのコメントなどでやりとりをさせていただく度に、
素晴らしいひとたちに巡り会えて、仲良くしてもらっているわたしという人間は
なんて恵まれているんだろう、としみじみ思った。感謝。

今月ブックマークしたネット上の記事は福島第一原子力発電所関連のものにかなり偏った。
それに対して思うこと、感じること、考えることを、
わたしはわたしの言葉できちんと語れるようにならなくては、と思う。
この件についてはお酒を飲んでくだを巻くだけではなく、
文章にしてみても相当怒りにまかせたものになってしまっており、
とてもそのまま読んでもらえるようなものじゃなひ~
こんなんじゃ何も伝わらないな、ということは自分でもよくわかる。
また話はずれるけれど、先日同郷の友人と話したときに、
「地元のひとや地元出身のひとがどれだけ主観的に地元の窮状を訴えたところで、
結局他の地域のひとには聞いてもらえないし、わかってもらえないんだよ、
あの地から離れた場所にいるひとが客観的な立場から事実を語ってくれなければ
わかってもらえないんだと思う」と友人が言っていたのだけれど、
それも確かに一理あるのかもなーとも思った。
わかってくれているひとはわかってくれているともちろんわかっているけれど、
伝えることの難しさとして。

そういう意味でも、そして極めて個人的な距離感を通しても、
この記事はぜひ多くのひとに読んでほしいと思った。
読んでほしいです。