猫とワタシ

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背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示する初めての一人暮らしの部屋で

LIFE



故郷から上京する時、母に持っていくよう言われた唯一のもの。
それはシンプルなガラスの花瓶だった。
「生活が苦しくても、花だけは絶やさないような暮らしをすんだど(するんだよ)」と。

上京してきた日のことは去年も書いたけれど、
最初は6畳一間のアパートで同い年の女の子との共同生活からスタートした。
しかし年頃の女子が狭い部屋でふたり暮らしていくのはいろいろと難しく、
数ヶ月後には解消。
バイト先の店長にお願いし、それぞれの部屋を新たに用意してもらった
(住居込みのバイトだったのである)。

そうして決まった私の初めての「一人暮らし」の部屋は、
風呂なし、トイレ共同の超化石的ボロアパートであった。
自分では決して選ばない物件だったが、
家賃はバイト先が出してくれるのだから文句は言えない。
というよりも、一人暮らしができる喜びのほうが強かった。
こまごまとしたDIYのために東急ハンズなどにせっせと通い、
ボロはボロなりに「自分の城」(笑)を作るのに燃えた。
花はいつも飾っていたわけではないけれど、
あればそれだけで部屋の景色が明らかに変わり、
と同時に心のあり方も変わり、
母が花瓶を持っていくように言った意味を実感した。


ところで東京での初めての一人暮らし、何が一番の楽しみだったって、
好きな時に人を招くことができることである。
一人きりで部屋にいる時のほうが少ないくらい、いつも誰かしら遊びにきてくれた。
まさに自由気ままな毎日で、私としては楽しかった。

が、そんなある日、思いもよらぬ出来事が起きた。
いつものように友達数人と部屋でわいわい盛り上がっていた夜のことである。
ドンドン! と部屋のドアをノックする音。
「はい?」とドア越しに尋ねると、「下の部屋に住んでいるものですが」と女性の声
(そうそう、私の部屋は木造2階建てアパートの2階にあった)。
なんだろう? と思いながらドアを開けた。
するとそこには30代半ばくらいの女性がいた。
顔立ちはきれいだし、上品な雰囲気でもあるが、何か様子が少しおかしい。
目がギラギラと煮えたぎっている感じだった。
そして彼女は口を開くなり、強くこう言った。

「私の悪口、言わないでください!!」

え。
悪口なんて言ってないけど
っていうか今初めてあなたの存在を知ったのに

しかし彼女は続ける。
「私の悪口が聞こえるんです。お願いですからやめてください」

ギラギラしたその目は怒りに燃えているようで、
あまりの気迫に圧倒されて、私はすっかり怯んでしまった。

そして言った。
「すみません」

それじゃ悪口言ってるって認めているようなもんだろうー!! なのだけど、
ここで今何か言い返したら火に油を注ぐようなことにならないか?
黙って謝れば事は穏便に済むのではないか?
と、臆病者ゆえのずるさが私にはあった。その場しのぎにすぎないのに。
でも実際そう言ったら彼女は納得したようにうなずいて、
すぐに部屋へと戻っていった。

しかしそれから彼女は度々やってくるようになった。
部屋に遊びにきた友達と話していると、
「私の悪口、言わないで!!」と言いにくる。
その度に怖くてたまらなくなって「すみません」と謝っていた。
ただ、悪口を言われているというのは彼女の被害妄想だけれど、
要は話し声がうるさいから苦情を言われているわけで、
そこは素直に反省しなくてはならないところではあった。

といっても、部屋に直接言いにくるだけでなく、
下のその女性の部屋から「悪口言わないでよ!!」と大声で叫ばれたり、
下の部屋の窓を何度もガッシャンガッシャン音を立てて開け閉めされたり、
何か棒みたいなもので壁や天井を叩かれたりと、
彼女のやることもだんだんと激しくなっていった。
その度にもちろん私の部屋にいる者一同、怯えて静まりかえるのだけど、
そこまでされるほどうるさかったということなのか。
でもとにかくその人は「自分の悪口を言われている」と思い続けていたようだった。

ある時、故郷から弟が上京し、何日か滞在した。
弟にはとくにその女性の話はしていなかった。
弟に日中の留守をまかせて出かけ、夕方帰宅した時のことである。
帰ってくるなり、弟からこんな「報告」があった。
「今日の昼間、外に干してた洗濯物が下に落っこちてよー、
取ってもらえないかって下の部屋に頼みに行ったんだ。
上の部屋に住んでいる者の弟ですけど、って言って。
したっけよー、女の人が出てきていきなり、
『あんたのお姉さんはいつも私の悪口を言っている。
あんたからも悪口を言うなって言ってくれ』って言われてよー」

「まじか(顔面蒼白)。んで、どうしたの!?」

「『うちの姉はあなたの悪口なんて言いません』って言っといたよ」

おおおおおおおとうとよー!!

そして、それからピタリとその女性からの「苦情」はなくなった。

私も最初にきちんと「悪口なんて言ってません」と言うべきだったと今は思う。
でも当時はビビリすぎてどうにもこうにもそれができなかった。
姉のできないことを、弟が代わりにしてくれた。
喧嘩ばかりしていたけど、いいヤツだと思った。
というか、姉よりもずっと、人として真っ当……。

離れて暮らすようになっても、家族は近くにいるものだと知った。
近くにいてくれる多くの人のありがたさも知った。
そんなこんなで一人暮らし一年生時代は過ぎていったのであった。


(当時はほんとにその女の人がただただ怖くてたまらなかったけど、
隣人の学生が夜な夜な騒いでいて、それが全部自分の悪口に聞こえてしまうとしたら、
その人の苦痛は相当なものであったのだろうなと今は少し想像できるし、
うるさくしていたことは本当に申し訳なかったなと思います。)

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