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猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示するありがとうだけは言いたかった

LIFE

父の日の贈り物の通販の手配は、5月の早い時期にすでにしていたのだった。
父の好きな日本酒を。
注文したとき父は入院していたが、当初医師から伝えられていた入院予定期間から考えて、父の日までには退院できるのだろうと信じ込んでいた。

しかし病状は良くならず、父の入院は長引いた。
父の日、せめてもと病床の父と電話で話した。
「お酒を送ったから、早く良くなって飲んでね」
そのときはこんな呑気なこともまだ言えた。
父としては長期にわたる入院生活に対する不満や憂鬱さが積もりに積もっていたようだったけれど、きっと良くなるはずだと根拠のない希望をわたしは勝手に抱いていた。
電話を切るときに、父は「ありがとう」とわたしに言った。

結局、それが自分が聴いた、父の最後の言葉になってしまった。

父の病状はどんどん悪化し、7月の中旬に転院した大学病院では「もう手の施しようがない」「余命は長くてもあと2カ月程度だろう」と宣告された。

……といった話をわたしは母から聴くのみで、実際にどういう状況なのか自分では何ひとつ見ていないし、聴いていない。
地元の病院に戻り、終末期のケアを受けている父に一目でいいから会いたいと思った。
しかし病院では家族の短時間での面会はできるようになったものの、県外から訪れる人の面会は禁止されている。
夢の中では会いに行くことができたときもあったけれど、現実には叶わなかった。

8月3日の未明、ふと目を覚ましてスマートフォンを見たら母からショートメールが届いていた。
「お父さん今、危篤です
声を聴かせたいから目が覚めたら電話ください」

すぐに電話をかけた。
「大きな声で話しかけて」と母。
何を言えばいいのかわからなかった。
でもずっとこれだけは言いたかった。
「ありがとう」

スマートフォン越しに父の荒い息遣いが聞こえた。
お父さん、今まで本当にありがとうね。
わたしの声は聞こえたかな。
どうして生きていて元気なときにもっともっと伝えなかったのかな。

家族と相談し、納得したうえで通夜にも葬儀にもわたしは出席しなかった。
母を始め、身内は基礎疾患をもつ高齢者が多い。
今この時期に東京から移動することはできないと判断した。
葬儀屋さんはじめ地元の人々も、東京からは来てほしくないという思いがやはり強いようだった。

この状況では仕方がなかったと思うしかない。
でも、父を見送ることができなかった。
父の顔を見てお別れが言えなかった。
後からどんどん堪えてくるね、こういうことは。

今年の正月の帰省時、地元から東京に帰る日に実家の玄関先で見送ってくれたのが、わたしが見た最後の父の姿。
いつも「ありがとう」とか「体に気をつけて」とか言ってもらってばかりだった。
見送ってもらってばかりだった。
どういうことなんだろうな、これは。