猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示するたまもの

LIFE

仕事先で新聞各紙を読むことができる日々、ほんとうにありがたいなと思っています。
現在自宅では新聞をとっていないのですが、一紙だけ選ぶとしたら、今は毎日新聞かなー。
余裕があれば東京新聞もとりたいけど。
そしてそんなことができるのであれば、夕刊と土曜日だけ日経をとりたいな。

以前は朝日新聞を購読していました。
その頃から好きだったのが求人情報特集に掲載されているインタビュー記事。
今ウェブで読むことのできる「仕事力」シリーズも好き。
最近、新聞の切り抜きを読み返していて、再び琴線に触れたのが下の記事。

「自分は、何を幸せと考えるか」鴻上尚史が語る仕事-2:望みには、早く踏み出そう

考え、迷っているばかりで答えが出ないなら、
この辺りはどうかという場へ自分の体を持っていく。
それは、具体的な体験をしてみると感じ取れることがあるからです。


これはほんとそう思うし、そうしたいなあと今とても思っていることでもあります。

朝日新聞つながり?でもうひとつ、朝日出版社第二編集部のブログも読みごたえあり。
直近の記事はこちら↓
http://asahi2nd.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html

ウェブで読む文章としてはかなり長めなのだけれども、
ぐいぐい引き込まれて息もつかずに読み終えた…的な。
そういう感じでがっと入り込んで読めるものを読んだ後の満足感ってハンパない。
末井さん、ありがとう。
そしてこの記事中の美子さんの手紙がすごいとも思う。

私が残念に思うのは、私があなたにとって
「大切なものになる」こともなかったということです。
何かを選ぶということは、他のすべてを選ばないということで、
人から少々うらまれたりしたって、そんなことあたり前です。
それが恐い人は「選ぶ」ことができない。
あなたは私のことも結局選べなかったんじゃないでしょうか。



美子さんの撮った写真集『たまもの』にも、
かつてかなりガツンとやられたものでした。

この記事のみを表示する円山町

TOKYO



ソーベリーベリーカラフル☆

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どこの国やねん

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そしてこのハデハデ道のつきあたりには昔ながらの小さな八百屋さんがひっそりと。
おもしろい街だなあ。


この記事のみを表示する春もうちょい

TOKYO



2月って毎年こんなに寒かったんでしたっけか、
とふと疑問を感じるくらいずーっと寒いなあ。

でも陽射しは明るくなってきている。
日も長くなってきているし。

暖かくなったらあちこち散歩しよう、と思っています。
この時期つい出不精になる自分のことは許しちゃる(←常に自分に甘い)。

この写真は2月の3連休明けから使い始めているスマホのカメラで撮影。加工してます。
スマホといってもアイフォンじゃないです。
アイフォンを使ってみたいものだ。
そしてスマホカメラでの撮影は難しい。
慣れるまで撮り続けてみようと思っております。
新しいことをやるのはたのしい。


この記事のみを表示するセンチメンタルジャーニー

過去の旅

もう20年も前のことになるけれど、タイ北部の町のとある有名寺院を訪れたときのこと。
広い敷地の一角で、とてもラフな格好で座りこんで話している2人の男性とひとりの女性がいた。
たぶん、ホームレスの人々。
そのうちのひとりがとても陽気なおっちゃんで、カメラ片手に歩いているわたしたちを見て
「俺たちの写真を撮ってくれよ」と声をかけてきた。
写真を撮るとさらにいろいろ話しかけてきたので、
ちょっとだけ一緒に座りこんで話をした。
そのおっちゃんは英語が堪能だった。

おっちゃんは占いができるという。
手相だったか誕生日だったか忘れてしまったけれど、とにかく占ってもらった。
占いの結果は「コーヒーの飲み過ぎで死ぬ」だのなんだのほとんどよくわからない内容だったが、
同行者とわたしのそれぞれの結婚する年齢や、子どもの人数もその中にあった。
同行者はそれを聞いて、少し悲しそうな顔でわたしに言った。
「俺たち、結婚しないのかな」

同行者は当時おつきあいしていたひとで、この旅を終えて帰国したら結婚するつもりだった。
それがこの占いによればお互い結婚する年齢も子どもの人数も全然違うので、
つまりこれから違う人生を歩むのか!? と彼は思ったらしい。
そもそもインチキくさい占いなのに、そこだけ真に受けたように
彼がそう言ったことは今でもなぜか忘れられない。

彼とは2週間、バンコクからチェンマイまでを旅した。
彼は仕事があるのでひとりで日本に帰国し、
わたしはひとりでチェンマイに残った。

チェンマイの小さな空港で、彼の乗るバンコク行きの飛行機の搭乗時間を待ちながら、
ふたりでお茶を飲んだ。
彼とのタイでの2週間は珍道中ではあったけれども、
ケンカをしたりイヤな雰囲気になったりすることはまったくなかった。
そのひとのことを心から信頼できると感じ続けた日々だった。
彼が日本に帰ってしまうことが寂しくて、空港内のカフェでわたしは泣いた。
だったら一緒に帰ろうよ、と何度も言われたけれど、
しかし「うん」とは言えなかった。
何かあのときは旅を続けなければならないという使命感のようなものを勝手に抱いていた。
寂しくて泣いているくせに、なあ。

その後わたしはひとりで旅を続け、それから約4ヵ月後に日本に帰る頃には
すっかり心変わりをしていた。
帰るなり別れを切り出した。

あの頃、旅先で会った日本人の方々に恋人が日本にいると言うと、
「そんな何ヵ月も待ってくれるひとなんてめったにいないよ」とよく言われたものだった。
でも彼はほんとうに待ってくれていた。
そして彼以外にもわたしの帰国を心待ちにしてくれていたひとがいた。
彼のお父さんである。
長男である彼の結婚を誰よりも待ち望んでいたお父さんは、
ひとりで海外をふらふらしているわたしのことを頼もしいと褒めてくれていると、
彼から聞いていた。
帰国したらお父さんに会うために、彼の実家へ行くことになっていた。

それを全部わたしがだめにした。
彼のお父さんは、翌年ご病気で他界された。

これはわたしが他人に対して行った、最もひどいことのひとつである。
どれほど傷つけたかわからない。


そのひとはそれから何年かして結婚し、
わたしは不毛な恋愛をくり返したりしながら今もひとりでいる。
20年前のおっちゃんの占い、当たってないけど、当たってる。

しかしそれだけのことをしておきながら、
わたしはいまだにそのひとを頼りにしている。
ものすごく困ったとき、誰かの手を借りたいと思ったとき、
最終的に顔が浮かぶのはそのひとなのである。
ほんと身勝手すぎるなと書いていて改めて思うけど……

数年前のことになるけれど、仕事もない、お金もない、困ったよー、という電話をしたことがあった。
そこまでぶっちゃけることのできる相手も、結局そのひとしかいない。
そのひとは奥さんと食事中だったようですぐに電話を切ったのだが、
ほとんど間を開けずに向こうから電話がかかってきた。

「米はあるか?」

電話に出るなりそう言われた。

え? 米はあるけど。

「そうか。お金はうちもないけど米ならあるから送ってやろうかと思ってさ」

そういうふうに、いつも具体的に何かをしてくれる。
お米は送ってもらわなかったけれど、その後、そのひとに仕事を紹介してもらい、
なんとか切り抜けることができたのであった。


だらだらと回想してしまった。
でもあの20年前の旅を思い出すと、ここに行き着く。
それもまた、旅ってものであるのかな(なんのこっちゃ)。

この記事のみを表示する連絡

LIFE

今日がバレンタインデーだっていうこと、ほんとうに忘れとったー。
枯れきってますな。

しかしそういえば去年はちゃんと覚えていたんだよなあ、
ということをふと思い出しました。

誕生日だのクリスマスだの年末年始だの、
イベント的な日になるとこまめにメールをくれる男子(子じゃないけど)がおりまして、
わたしからもメールを送ってみっぺ、と思ったのが去年のバレンタインだったのでした。
で、ハッピーバレンタイン、と柄にもなくハートマーク付きでね、送りましたのよメールを。

するとなんと!
返ってきたメールのタイトルは!

Re:どうも~バレンタイン連絡!

えっ、れっ、連絡ぅ~~!?

もしや彼がいままでくれたメールはすべて誕生日連絡とかクリスマス連絡とかだったのか。

………おもしろい。


しかし今日もそのひととメールのやりとりをしたにもかかわらず、
用件のみを交わしただけで終了。
しばらくしてから、はっ、今日はバレンタインデーじゃないか!と
思い出したのだけれども時すでに遅しなタイミング。
そんなわけで今年はバレンタイン連絡ができずじまいになってしまったのでした。ザンネン


この記事のみを表示するlife goes on

LIFE

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昨日は17歳年下の従弟の結婚式でした。

19歳になる年の春に上京したわたしは、
その頃からほとんど親戚に会うこともなくなったので、
この従弟についても幼い頃のわずかな思い出しかないのだけれども。

あんな小さかった子がこんなに立派になって~~~、
という親族的感慨はやっぱり湧き上がってくるのでありました。
しみじみ。心からおめでたい。

彼のお父さん、つまりわたしの叔父で、母の一番下の弟、のやすひこおんちゃんは
長い闘病生活を経て、2011年の5月に亡くなりました。
まだかなり震災後のショックと混乱の中にある時期でした。
叔父の住まいのある千葉で執り行われた葬儀には、
あちこちの避難先から親族がかけつけました。
わたしの両親も避難先の福岡から飛んできました。

葬儀の後、母の一番上の弟、わたしがこのブログによく書いている叔父
――大熊町から会津若松市に避難しているまさひこおんちゃん――が
車で避難先へと戻る途中、携帯に1本の電話がかかってきたそうです。
それが、津波で行方不明になっていたこういちくんが発見された、という第一報だったそう。
叔父は避難先に帰るのをやめて、その足で身元確認に向かったということです。

何でもこんなふうに意味づけするのは間違っているのかもしれないけれど、
けれどもやっぱりそれは亡くなったやすひこおんちゃんが導いてくれたんじゃないのかなあ。
そう思っています。

昨日、東京ディズニーリゾートの某オフィシャルホテルで行われた披露宴。
雪深い会津から千葉まで車で日帰りでやってきた叔父一家。
披露宴での乾杯の音頭は、まさひこおんちゃんがとりました。
おんちゃん、かっこいいんだな。

来月で2年になるのにいまだに「避難」生活の中にあり、
息子は福島第一原発事故の収束作業にずっと携わり続けている。
その叔父が昨日も身内に話すのは「津波は本当にすごいど」ということ。
別の従弟が「テレビで見たから知ってるよ」と言っていたけれど
テレビで見るのと、目の当たりにするのとでは全然違うのでしょう。
わたしもテレビでしか見ていないから、想像するしかないのだけれど
「想像を超えたもの」なのだと叔父は言っていました。
避難を強いられているのは東京電力が起こした事故のせいだけれども
叔父の脳裏に焼きついて離れないものは津波なのだな、と思いました。
うまくいえないけれど。


何を書きたいのかよくわからなくなってきましたが、
披露宴は若いふたりが自分たちで考えて作り上げたものだということが伝わってくる、
等身大で無理したところのない、温かでほのぼのとしたとてもいい宴でした。
末永く幸せでありますように。


この記事のみを表示する軍鶏のスープ

LIFE



昨日は友達の家におよばれしてふたり鍋。


軍鶏からとったという絶品スープは
旅立ったご主人が残してくれたもの。
うまい。うますぎる。


生涯忘れることはないであろう、大切なお話をたくさん聞かせてもらった。


ありがとう。

この記事のみを表示する#

SAPPORO&SENDAI



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この記事のみを表示する2月2日

LIFE

2月2日(土)、東京で日中の気温が20℃近くまで上がったということで
いきなりのあたたかさ。というか冬の格好では暑いくらい。
でもこのくらいの気温ってほんと過ごしやすいなあ。
気分も上がるなあ。

午前中は汪先生のマッサージと、同じ治療院で漢方薬治療の診察も。
漢方薬治療もマッサージと同時に先月から始めたのだが、これがなかなか調子がいい感じ。
漢方薬については後日また改めて書きたい。
マッサージは今日はすごく痛くて、汪先生に「昨日仕事でたくさん書いたのか?」と聞かれる。
昨日というかおとといなんだけど、そうなんだよねー。
肩まわりの筋肉が内側にいっちゃってるから、
長時間PCに向かったら外側にそらすような体操をしなさいと。
ごもっともです。
そしてわたしは「パソコン肘」という疾患でもあるらしい。
さらに「五十肩というものは…」というレクチャーもちょっと受けたのだが、
いや先生、わたしまだ40代なので四十肩ってことにしてもらえませんか~と
心の中で軽く訴えてみたりとか……はとくにしてません。

午後は美容院。
以前からそうなのだがわたしの担当者であるOさんは、
わたしが夫も子どももいる家庭の主婦であると思い込んでいる模様。
しかしわざわざ独身ですと主張しなくてはならないような話の流れでもないため
適当に話を合わせてはいるのだけれど。
そんな自分がとてもビミョーだ。

そしてアシスタントの男性スタッフとは健康ネタでしばし盛り上がったのだが、
彼はとにかく病院が嫌いで、健康診断も全然受けていないそう。
「でも僕ももう25になるんで、やっぱ受けたほうがいいですよね」と言われ一瞬フリーズ。
若者だとは思っていたけれど、まだ25歳なんだー、とね。
「ええ、そりゃ若いうちからちゃんとしといたほうがいいですよ」と答えたものの
自分が25の頃なんて何にもしてなかったなあ。
と今考えたら、結石ができたのがその頃だったことを思い出した。
20代の頃のほうが病院によくお世話になっていた。

なんてことを書いているうちに外は風がビュウビュウいいだしました。
また寒くなるのねえ。

というかどーなんだこの日記……修行します。