猫とワタシ

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背中合わせのNight&Day

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LIFE

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この記事のみを表示する5月の光と風

TOKYO

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5月頭、上京した両親と叔母、従兄弟と一緒に総武線の電車の中から
開業前のスカイツリーを見る。
わたしはあの上に登りたいとはとくに思わないけれど
母はできれば登ってみたいとのこと。

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全貌が見えてきた東京駅赤れんが駅舎を眺めながら昼ビール。
復元するということについて、意見を交わし合う。

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京急電鉄での通勤、季節が変わったら晴れている日でも
朝の富士山は見えにくくなってしまったけれど
(冬の間はso clearlyだった。となぜか英語で言いたくなるくらいクリアに見えていた)、
帰路は日が長くなったおかげで夕陽がきれいに見えるようになった。

ところで京急の品川-京急蒲田駅間は、羽田に離着陸する飛行機も車窓からよく見えて、
ちょっとワクワクする。
とくに朝のまぶしい光の中、空へと上昇していく飛行機を見るのは気持ちがいい。

しかし!!

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うっかり間違えて羽田空港国際線ターミナル駅まで行ってしまった日には
がっくしきて泣きそうなほどムカついてもうた。
朝、締め切りの原稿書きが終わらず、遅刻して蒲田の仕事先に向かった日のことなんですが
通勤時間帯が過ぎると品川から羽田空港までノンストップの快速特急っていうのが
何本かに1本走ってるんですわ(よく意味のわからない説明で失礼)。
で、それとは知らずに乗ってしまったわけなのですわ。
イヤホンつけて音楽ガンガン聴いていたので車内アナウンスも聞いていなかったのですわ。
あれ~っと思っているうちに自分の降りたい駅は瞬く間に通り過ぎ羽田空港へ!
しかも初めての国際線ターミナル!
初めてここに来るときは海外に行くときじゃなかったのか!
あ―ムカついたー自分にムカついたー
↑の写真は、反対側のホームに行くためすごすごとエスカレーターを降りるの図。
さくっと乗り換えてさっさと仕事さ行きたいのに、
エスカレーターもいちいち長過ぎだっちゅの!(←やつあたり)
あームカついたーおうよ自分にな。

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だげっちょも5月はどこもかしこも緑がきれいで、
緑のバリエーションもいろいろあって、
それがとっても目の保養になって、心もすっと鎮まるなり。

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多摩川駅も緑がこんもりで美しかった。
写真はないけど御茶ノ水駅もこの季節、ホームからの緑がとても鮮やか。

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そして金環日食は自分でも意外なほどに心から盛り上がった。
ちょうど出勤タイムだったので、駅に向かう前に近所の公園にちょろっと寄ったのだが、
公園に集まっているひとたちの盛り上がり方がまずすごかった。
みなさん日食グラス越しに「おおーっ」とか「すごーい」とか歓声を上げており。
しかしわたしは日食グラスを持っていなかった。
だから別にいいやと思っていたのだが、皆の歓声を聞いていると
見てみたい気持ちが高まってきた。
すると「肉眼でもわかる!」という声がどこからか。
なぬっ、ほんまか! と肉眼でぱっと見てみましたらば、
ちょうど雲も切れていて、まさにそこには金の環が!!
肉眼なのでもちろん一瞬しか見ていないけれど、あまりの美しさに衝撃を受けた。
肉眼で見てはいけないといわれていた意味がよくわかる、
まぶしすぎる自然の黄金だった。
すごいすごいこれはすごい!と興奮しながら駅へ向かうと、
その途中にも空を見上げているひとはたくさんいて、
でもまるで興味なさそうに普通に目的地を目指して歩いているひともたくさんいて、
それもなんだかよかったのだ。
地下鉄に乗ったらもう、そんな天文ショーが今起きているということすら信じがたいほど
あまりにも平常の通勤風景で、でもそれもなんだかよかったのだ。
うん、実にいい朝だった。

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金環日食の日の夕陽。

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揺るがない大きなものを感じたりもした。

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そして5月も過ぎてゆく。

この記事のみを表示するなぜかペソ

過去の旅



「あの角を曲がったところの路地に猫がいる、に100ペソ」

「天気予報では夕方から雨が降るかもと言っているが、
たぶん降らない、に30ペソ」

「このままだと遅刻しそうだが駅に着いたらすぐに電車がきてくれて
絶対約束の時間に間に合う、に500ペソ」

などなど、上のたとえはあんまりうまくないけれど
日常生活の中でたまに小さな脳内賭け事をするとき、
その賭け金の単位はなぜか「ペソ」。
円でもなければドルでもルピアでもなく、ペソ。
誰かが言っていたことがいつのまにか自分の頭の中でも定着したのかもしれませぬが、
とにかくペソがいちばんしっくりくるのですなあ、なぜか。

写真は昔、メヒコのロスカボスで撮影。
日本料理店のショーウインドウに貼られていたメニュー。

海外で目にする日本食のメニューってあまりにも魅力的。
日本で日本食のメニューを見るときにはまずあり得ないほどの胸の高鳴りを感じます。
「ほうれん草ごまあえ」とか「ギョーザ」とかその字面だけでもうたまらんわ~となる。
「ギョーザ」はあくまでも日本食としての、家庭料理的なギョーザということで。

ところでこの写真のメニューの金額の部分には
手書きで「ペソ」と単位が書かれていますが
これはとても日本人旅行者向けで親切であります。

あれはメヒコに到着した夜のことじゃった。
夜着いて、そのままホテルにチェックイン。
移動で疲れたことだし、今夜は早く眠ろうと思っていたのじゃったが
時差ぼけで眠れなくなってしまったのじゃった。
しかもめちゃくちゃお腹がすいていた。
そんなわけでルームサービスを頼もうかと思い、部屋のメニューを見てみた。
すると、だいたいどの料理も$30とか$40とか$50という値段なのじゃった。

「$」ってドルってことか??
だとしたらハンバーガー1個3000円とかしちゃうのけ??

冷静に考えれば、んなわけないじゃろ! なんじゃけど、
初めての国での初めての夜、しかもおひとりさまゆえ誰にも相談できず、
万が一ドル表示だった場合の出費のダメージを考えに考え、
結局ルームサービスはあきらめ、夜明けまで激しい空腹と闘い続け、
朝方になってようやく眠気が訪れてきてくれたと思ったら
お掃除のお姉さんがいきなり鍵を開けて部屋に入ってきてくれちゃって、
「スンマセン、もうちょっと眠りたいのじゃが~」と日本語で訴え、
それに対しお姉さんもスペイン語で何か返してくれるんだけど当然意味は全然わからず、
でもとにかく掃除は後からにしていただいたのじゃった!
という、どーでもよい思い出。

ちなみにメキシコペソとUSドルの表示の違いについては
こちらの記事が参考になります。


明日も夕立はこないはずだ、に3000ペソ(大きく出たな)

この記事のみを表示する喉が渇いたある休日の日記

TOKYO

久しぶりに区のスポーツセンターのプールへ。
泳ぎ終わって更衣室に戻ると、
若いお母さんと5歳くらいかな?の娘さんが着替えをしていた。
娘さんがとてもテンション低くお母さんに尋ねる。

「ねえー、どうして男の子の水着はパンツだけでいいのー?」
「ねえー、どうして男の子は上には何も着なくていいのー?」
「ねえー、どうして男の子だけ着替えが簡単なのー?ずるいー」

娘さんは水着に着替えるのが面倒でたまらないらしくゴキゲン斜め。
お母さんはそんな娘さんをなだめながら着替えを手伝っていた。

子どもの率直なギモンってほんとおもろいわ~、なんて、
耳に入ってくる会話を微笑ましく聞いていたけれど
ちゃんと答えようと思うとなかなか難しい質問ではありますな。

とりあえず面倒くさいなりにも?さっさと着替えをすませスポーツセンターを出る。
非常に喉が渇いていた。
だったら水でもお茶でもジュースでも買って飲めばいいわけだけど
今この渇きをうるおしてほしい液体はあれしかない。
そう、マイ命の水。その名はビール。
というわけでスポーツセンターから我が家まで歩いて帰る途中にあるカフェで
一杯飲むことにする。

喉の渇きに耐えながら30分ほど歩いてカフェに到着。
歩いている間にますます喉は渇いたなり。
このお店には生ビールはない。
ハートランドの小瓶と中瓶があるが、喉の渇き方からいって小瓶では間に合わないと思われる。
よって中瓶を注文する。ピタパンサンドも一緒にお願いする。
あ~やっとビールが飲める! とウキウキしながら
店内に置かれている雑誌を席に持ってきて待つ。

ビールはすぐに運ばれてくるもの、とわたしは思っていた。
だがこない。いつまでたってもくる気配がない。
雑誌一冊分、もうざっと見終わっちゃいましたですぜ??
しかも後からオーダーしたひとのコーヒーが先に運ばれていくのを見てしまった。
なぜになぜに??
もしやピタパンサンドと一緒に運んできて下さるということ??

すぐに飲めると思っていたビールがなかなかやってきてくれないことに
若干の苛立ちを感じ始めたアタクシ。

努めてにこやかに「すみません~」とお店の方に声をかける。
「はい?」
「あの、ビールは先にお願いできますか」
努めて控えめに言っているつもりだが我ながら単刀直入ではあった。
「あ、先にお出ししちゃっても大丈夫ですか?」とお店の方。


イエス、オフコ~~~~ス


と心の中で絶叫しつつも(嘘)努めて平静を装い「はいお願いします」。

数分後に「お待たせしてすみませんでした」とビールを運んできてくださったお姉さんは
一瞬じっとわたしの顔を見た。
「このひともしやアル中?」とでも思われたのだろうか。
いやなんと思われようともはやかまわん!!

一心不乱にグラスにビールを注ぎ、ゴクッ、ぷは~っ、くぅ~っ!!!
待ちに待ったビールの味はそりゃもう格別じゃった。

……というだけの話でとくになんのオチもなくスンマセン。

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↑ビールのお供のピタパンサンド。
鴨肉と野菜とバルサミコソース、ビールにとても合うのだけど
このオサレなカフェで昼ビールなぞしている客は
そもそもわたし以外にはいなかったのじゃった……

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↑スポーツセンター近くで。
明治通りからもスカイツリーが見えるんだー、と初めて知った記念の一枚。

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↑帰り道で会ったにゃんこ。
ひとりでごろごろ仰向けに寝転がったりして遊んでいたのだけど
撮影されていることに気づいて緊張ムードに。
驚かせてごめんにゃー

この記事のみを表示するくわえ煙草でプレイ

ROLLING STONES

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前回アップした『西荻ブックマーク』の会場、『ビリヤード山崎』での1枚。
創業80年。東京では最古のビリヤード場だそう。
かなり好みの空間でしたが、写真はなぜかこれ1枚。

「くわえ煙草でのプレイはやめましょう」の「プレイ」だけがボールドのゴシック体、
そんなところも好みです。

ところで

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くわえ煙草でのプレイが世界一様になる男といえば彼しかいないでしょう。

というわけで?、前回の記事に書かせていただいた多田さんからごく最近教えていただいた
このアルバムの彼の曲。



本家も気になります。


この記事のみを表示する連休プチびっくりメモ

TOKYO

●フローズンビアにびっくり

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運ばれてきた瞬間、「うわっなにこの泡!」と盛り上がりやした。

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初めての飲み心地、一番搾りフローズン生。
泡がフローズンなんですねえ。30分間は冷たさが長持ちするとか。
まあ、どう考えてもビール1杯飲むのに30分はかからないのだけれども
真夏の屋外などでぜひとも飲んでみたいビールでする。


●竹の子刺身にびっくり

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鳥茶屋で竹の子のお刺身をオーダー。

これも運ばれてきた瞬間、「おおーっ!!」とお友達と盛り上がりましたざんす。

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まさかこのような「かぐや姫」状態で登場するとはまったく想像していなかったもので。
なんとゆーか、ある種の神々しささえ感じるビジュアル。

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あまりにも盛り上がりキャッキャキャッキャと写真を撮りまくっていたら、
お店の方がこの竹の子のお刺身とわたしたちの3ショット写真を撮影してくださいました。恥。

とーぜんビールも昼から進んだわけで……

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ふたりで15杯! といっても1杯200円のランチビアっすけどね。
でもよく飲みました、はい。



●白鳥にびっくり

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びっくり加減がいまいち伝わらない写真ですが、
結構な勢いで白鳥が草を食んでいたのです。

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2羽とも、わりかし「がっついて」いる感じだったのです。
お腹がすいていたんだねー。

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そして満たされた後はクールに優雅に去ってゆく素敵な白鳥さん……



●番外編

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きょうはこどもの日ですが
こどもの日よりもひと足お先に、
お友達が買ってきてくれた柏餅を公園のベンチでいただき♪
おいしかった!

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ザ・休日~って感じでよかったな。

さてレッツラしごとしごと~!

この記事のみを表示する雨あがり

TOKYO

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拙者はほんまに接写が好きじゃ

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とくに花には可能な限り近づきたひ

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つつじの向こうに浮かぶは白鳥なりよ

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皇居周辺の散歩はほんとうに気持ちがよいものよのう

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雨あがりはほんとうにうれしいものよのう

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LIFE

2008年夏の北京オリンピック。
女子ソフトボールの日本VSアメリカの決勝戦をテレビで観戦した際に
7回完投勝利を遂げた上野由岐子投手(※1)の姿に心を揺さぶられ、
「自分がやりたいことを本気でやっているひとは強い」
「自分は自分のやりたいことを本気でやっていない」
と数日間考えたという。

インディーズ文芸創作誌『Witchenkare』の編集発行人、
多田洋一さんのお話である。

2008年の夏48歳だった多田さんはこのことを機に
「雑誌を作りたい、自分の作品を作りたい、やりたいことをやり残したくない」
という思いを強く持った。

それが『Withenkare』創刊のきっかけになったという。

先月15日に開催された第61回西荻ブックマーク「インディーズ文芸誌のつくりかた」

このトークイベントで一緒に出演された木村重樹さんの
こちらのブログの記事でも紹介されているように、
ライター&エディターとして多くの“メジャー誌”を手がけてきた多田さん。

出版社や企業から発行されている雑誌やPR誌などには大抵「特集」となるテーマがあり、
そのテーマに沿った取材や執筆、編集が行われ、
表紙には特集タイトルやそれに関連するコピーなどが読者の興味を引くよう視覚的に並べられる。
多田さんはそうした“メジャー誌”におけるキャッチーなノウハウやテクニックなども
キャリアとしてしっかり自分のものにしている。

だからこそ、というか、でもあえて、というか、
多田さんは「既存の雑誌とは違うものをやりたい」と
“インディーズ文芸創作誌”を自ら立ち上げることにしたのだ。

そこでまず多田さんがイメージしたのは
elレーベル(※2)、江戸屋レーベルという
国内外のインディペンデントレーベルから発売されたコンピレーション・アルバム。
そして、ハル・ウィルナーが多彩な人選で制作したトリビュート・アルバムだった。

雑誌としての特集テーマは決めない。
ジャンルを問わず、多田さんが選んだ様々な分野のライターや作家が
同じひとつの場(『Witchenkare』)で
それぞれに自由なスタイルで書きたいことを書く。
「AさんとBさんの作品が同じ雑誌に掲載されているなんて!」
「いつもルポルタージュを書いているCさんがここでは小説を書いている!」
と、読者がそういった意外性まで含めて楽しめるような雑誌を作りたい。

「これで儲けたいというわけではまったくなくて、
『Witchenkare』を仲介として書き手のことを出版社の編集者に知ってもらったり、
ここで発表したものが第一稿となって“メジャー”へと広がっていってほしい」と多田さん。
「音楽にたとえるなら別バージョンやデモトラックのような、
結果的にレアものとして後々残るような作品が生まれてきたらおもしろいだろうと思う」

『Witchenkare』創刊号は、書店の中での“輸入盤のレコード”のような存在でありたいと、
表紙には誌名を始めとする必要最低限の文字情報以外はいっさい入れなかった。
そしてその肝心な誌名は、ぱっと見にはわかりにくい下のほうにあえて入れている。
もちろんこれはいわゆる「普通」の雑誌では基本的にあり得ないことである。
でも「こういうものを作りたいから作りました」という意思表示をわたしは感じる。
そういう作り手の精神を感じて手にとったひともいたのではないだろうかとも想像する。

しかしそれはやはり売り手にとっても読み手にとっても不親切であるということで、
2号目の表紙からはタイトルを上に移動し、寄稿者の名前も入れるようになった。
1年に1回発行。
毎年寄稿者を増やし、雑誌としての改良を重ね、販路を広げ続けている多田さん。
このトークイベントではそのあたりについての具体的なお話も多く、
そこをきっちりレポートしてほしいという方もいらっしゃるかもしれませぬが、
個人的には今こうして「自分のやりたいこと」に向き合い、動き、着実に進んでいる多田さんの、
その実行力を促すきっかけとなったのがソフトボールの上野選手のプレイだった、ということが
実はものすごく心にこびりついた。

わたし自身は上野選手のその試合は観ていないのだけれども、
他の誰かの「それしかない」切実な瞬間などを目撃したときに
自分の「なんにもなさ」を自覚することは度々ある。
でもってわたしの場合は自覚しても結局そのままなのだということも自覚している。
まったくもって、自覚さえしていりゃいいってもんじゃない。

「自分がやりたいことを本気でやっているひとは強い」
わたしもこの日、多田さんのお話を聴きながら心からそう思った。

そして雑誌や本にも作り手の「本気」が必ずや現われるものなのだと改めて感じた。

読み手としての自分も、作り手の意思に感応するかのように特定の雑誌に惚れ込み
何度も繰り返し読んだりしていたことがあったじゃないか。
そういう経験があったからこそ、自分もその世界に入ってみたいと思ったのじゃないか。
そんな10代の頃のことを思い出した。


ゲストの『生活考察』編集発行人の辻本力さんは、
多田さんとはまた少し違うスタンスで雑誌を作られている。
雑誌のテーマを大きく「生活まわりのこと」と決め、
全体の6~7割のページをレギュラーの執筆者陣のエッセイで構成している。
広告も入れている。

あたりまえのことかもしれないが、やはり作りたいものがとても明確な方なのだと感じた。
「こういうものを作りたい」という目的があって、その方向性に沿ったものを作るというのは
本来至極まっとうなことなのだろう。
ただ、「執筆者や取材対象者に対して有名無名という考え方はしていない」という辻本さんの言葉、
これは“メジャー誌”にはないことのように思えた。

有名無名といえば、多田さんも創刊号の売り込みの際には
「無名」であるがゆえに苦労したとおっしゃっていた。
でもそのうちになんとなく売れてくると、売る側の反応も変わってくるものらしい。
そこにたどりつくまで、あきらめちゃだめなんだな。

自力で何かを始め、動かしていくためにはすぐにへこたれない粘り強さが必要で、
あきらめずに進み続けるためには「これをやりたい」という思いの強さが欠かせない。
そしてたとえすぐにはうまくいかなくても
そういうことも含めて自分自身が「おもしろがれる」ことが大事なのだろう。

なんだか小学生の作文みたいな感想になってきてしまったが、
このトークイベントでお話をされている多田さん、木村さん、辻本さん、
みなさんとてもいい顔をしておられた。

「『Witchenkare vol.4』も来年の4月1日に発行します。
年に1回出すと決めたから、決めたことはやります」という多田さんに
「多田さん、真面目ですね~」と辻本さん。


「インディーズ文芸創作誌のつくりかた」についてお聴きしながらも
今自分に足りないものが何なのかがはっきりと見えてくるような、
がつんとくる感じのトークイベントであった。


(※1)
2008年8月20日、北京オリンピック準決勝のアメリカ戦、同日夕刻の決勝進出決定戦の豪州戦と2試合続けて登板、いずれも延長戦となり合計318球を投げ完投(準決勝は敗戦、決勝進出決定戦は勝利)した。そして翌21日のアメリカとの決勝戦も先発して7回完投勝利、2日間3試合413球を投げ抜き、球技としては1976年モントリオールオリンピックの女子バレーボール以来となる日本の金メダルに大きく貢献した。(Wikipediaより引用)


(※2)
1984年9月、マイク・オールウェイによって設立されインディペンデントレーベルの名でショック・ヘッディド・ピーターズとクラクション5の2枚のシングルでスタート。'88年からはチェリー・レッドの資金援助を得て傘下に。現在は活動停止中。学生時代、小沢、小山田両氏は el に首ったけだったとか。最近、Would be goods のアルバムやコンピの「London Pavilion 1~3」などが再発されているので是非聴くように。(S)(パーフリ辞典より引用)