猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示する7月の終わりに

LIFE

エイミー・ワインハウスの死もレイハラカミの死もショックだったけれど、
前途有望な24歳の若者がひき逃げされて他界するという
あまりにも理不尽でやりきれないことがあった7月下旬。
その若者は友人の友人でわたしは直接お会いしたことはなかったけれど
一方的かつ勝手に親しみを感じていた人だった。
ひき逃げ犯は、いまもまだ逃げ続けている。

命のこととか、生きることとか死ぬこととか、
いろいろ考えては心が塞ぐのだけど、
そんなときに↓のブログを読んで、じわん、とした。

「心の中で生まれ変わる」―毎日jogjob日誌by東良美季

「なあ、お前さー、もう死んじゃダメだぞ」
に、おらの涙腺は決壊。


別の意味でも涙が出てしまうのだけど、小西修さんの「タマ猫地蔵」のお話↓。
小西修の動物ドキュメンタリーBLOG

ところでそういえば今月でテレビのアナログ時代は終了したのじゃったな。
わたしは昨秋の引っ越し時にテレビを処分し、以来テレビのない生活をしているので
アナログ時代の最後は見届けられなかったのじゃった。
それはちょっと残念な気もするが、テレビがないこと自体にはとくに不便は感じていない。
というかテレビをムダにつけていてムダにイラつくというストレスがなくなったのは、
自分の精神衛生上いいことじゃ。
なにせあればムダにつけてしまうしムダにイラついてしまうタチじゃからの。
そんなわけでテレビがないくせに書くのもなんだけど
↓これは全国枠でオンエアされるべきことなのでは、とは思う。

http://www.youtube.com/watch?v=C3Gap0QbL_c
(文字起こしをして下さっているブログ↓
明日に向けて(208)放射線の健康への影響について(児玉龍彦教授国会発言)―明日に向けて

この「記録動画が、どうして多くの人の心によく届くのか」ということについて、
ほぼ日刊イトイ新聞の「本日のダーリン」(7.31付)で糸井重里氏が書いている。
「本日のダーリン」はアーカイブがないので一部引用させていただく。

 危険や不安について、どれだけ言っても、
 何が「悪」かについてどれほど説明しても、
 未来への夢をどんなに語っても、この児玉さんのように
 「計るしくみを確実につくる」
 「民間業者を入れて除染作業を進めるべきだ」
 「この法律を変える必要がある」というふうな、
 具体的な「どうする」がないと、残念ながら、
 「もっと怒りましょう」キャンペーンになっちゃいます。
 感情を揺さぶることが目的でなかったことが、
 見ている人や、会場の人たちの感情を揺さぶったのです。
 見て、知って、ほんとうによかったと思っています。


糸井さんの書いていることもそのとおりだと思うけれど、
児玉教授の最後のこの「怒り」に、わたしの感情は揺さぶられた。

「七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに
国会は一体何をやっているのですか」


公の場で、誰かにずっと言ってほしかったこと。

(児玉教授、除染活動ありがとうございます。)

故郷を離れ上京して、故郷の原発から送られる電気を東京でじゃんじゃん使ってきた自分。
物理的にも精神的にもずいぶん故郷に依存していたのだなと
今さらながら気づかされている。何もかもが「今さら」なんだけど。
最近は、福島県に対する心ない言葉を聞きたくなくて(あるいは心ある言葉でさえも)、
その部分においてははっきりと、身近な人にも心を閉ざすようになっている。
結果、自分が傷つきたくないばかりに他人を傷つけることになっていたりする。

そこが故郷である人間としてまだ伝えるべき言葉をもてない自分が、
読んでいて腑に落ちたり救われる気持ちになることが多いのが、↓この方のツイート。

反原発派の藤原敏史(toshi_fujiwara)監督のツイートが正論過ぎて泣ける #genpatsu #原発


それにしても自分のバカさ加減が恥ずかしいとつくづく思う日々。
でも奈良さんの日記↓を読んで少し元気がでてきた。
奈良美智の日々

この記事のみを表示する蒲田的台湾な夜

FOODS

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「辛いの平気?」と台湾人のおかあさんに聞かれ、
「平気です」と答えると、
冷蔵庫から瓶を取り出し、テーブルの上に置いてくれた。
ふたに貼られたシールの「エビ」という文字が、「おいしいもの」をただちに連想させる。

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瓶の中身は唐辛子の薬味。
何に漬けてあるのかは尋ねなかったが、沖縄のこーれーぐすに似た味だと思った。
「エビ」がどう関係しているのかはわからない。
でもただ辛いだけではないうま味があって、クセになる。

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初めて入った台湾居酒屋。
大地震の日、帰るあてがなくて蒲田の街をさまよっていた時にたまたま見つけ、
その店構えに一目で心惹かれるものを感じたのだが、入る機会はずっとなかった。
久しぶりにその店の前まで行ってみると、
やっぱりどこからどう見てもおいしそうな雰囲気が漂っている。
と同時にひとりでは入りにくそうな空気も感じる。
店の前でぐずぐずと中の様子をうかがっていると、たまたま表に出ていたおとうさんが
「どうぞ」と促してくれた。

店内はぎゅうぎゅうに詰めて10人程度入れるかどうかという広さ。
すでにふたり先客がいたが、どちらもひとり客の男性で、
しかも年季の入った常連客であることがそのたたずまいから見てとれる。

どこでも基本的にはひとりで平気なわたしだが少々ドギマギしながら生ビールを注文する。
お通しの揚げピーナッツの塩気がとてもいい。

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おとうさんが「これはサービスね」と言って出してくれた、
ウーロン茶で煮たという玉子。

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皮をむいたらスパイダー玉子に変身?
これおいしかったなー。

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刈包も激うまだった。
とろとろの豚角煮と香菜、ピーナッツ、高菜。なんという絶妙な組み合わせ。
これ食べたさに今後もここに通うことになるだろうと予感する。

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店はいつのまにか満席になっていたが、来る客来る客、みんなひとり客の常連さんばかりで、
「おっ、久しぶりー!」などと挨拶を交わし合っている。
全員顔なじみらしい。
そこにひとりで初突入したわたしは明らかに浮いている。
でも隣り合わせたおじさんが自分の入れた焼酎のボトルで緑茶ハイを作って
ガンガンわたしにふるまってくれたり、焼きそばをごちそうしてくれたりと、
いろいろ気をつかってくださったおかげもあり、
気づけばわたしもなんとなく常連さんの輪の中にいるようないないような、という感じで、
旅でもしているときのようなつかず離れずの独特な居心地のよさを味わった。

ところで台湾人のおかあさんは、わたしがひとりで店に入ってきた瞬間はかなり驚いたらしい。
女がひとりで飲みにくることは相当珍しいとのこと(でも女性の常連さんも何人かいたけれど)。
帰り際、おかあさんは「自分のことを大切にしてね」という意味合いのことを
わたしにたくさん言い聞かせながらそっとハグしてくれた。
なぜ自分を大切にしていないことが初対面のおかあさんに見抜かれたのだろう、
と酔った頭でぼんやり考えながら、
やはり旅でもしているときのような、近すぎないぬくもりを持ち帰った。



この記事のみを表示するめぐるなつ

LIFE

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高校生の頃、毎週日曜日は近所の美容院でアルバイトをしていた。
家族経営の小さな美容院で、自宅の敷地に店舗があり、
美容院の隣に理容院が併設されていた。
奥さんが美容院、旦那さんが理容院の店主である。

仕事の内容は主にタオルの洗濯やカット後の店内の掃除、
巻き終わったパーマのロッドの洗浄・片づけ、
パーマやカラーリング中のお客様にお茶を出すこと……など、
当然のことながらお客様の髪に触れずにできる補助的な業務が中心だった。

しかし。
たまにものすごく忙しくてお客様を待たせてしまうようなときは、
お客様の白髪抜きや(白髪抜きをご所望される方がいらした)、
ロッドを巻き終わった状態の頭にまんべんなくパーマ液をつけることなど、
お客様の髪に触れなければできない業務も指示されるのだが、
いや~これは実に災難でしたよ、お客様にとって。

あるときは……

「きゃっ、痛いっ!!」(←お客様)
「はい?」(←真剣に白髪を抜いているわたし)
「もっ、申し訳ございません!!」(←店主)
見れば毛抜きの先には白髪以外に黒い毛も何本か混ざっており……
一緒に引き抜かれたらそりゃ痛いですわよねあああごめんなさーい。

またあるときは……

「きゃっ、冷たいっ!!」(←お客様)
「はい?」(←真剣にパーマ液をつけているわたし)
「もっ、申し訳ございません!!」(←店主)
見ればパーマ液を受け止めるために顔まわりに巻いてあるタオルがびしゃびしゃになり、
お客様の顔にまでパーマ液が流れていきそうになっているところであり……
これ自分も同じ目にあった経験があるけどほんと気持ち悪いんですよね
ほんとにほんとにごめんなさーい。

こういうこと、高校生であろうと未経験者であろうと、
お客様の様子をうかがいながら丁寧に細やかにこなせるひとは必ずいると思う。
しかしわたしにその仕事はあまりにも適していなかった。
災難にあわれた当時のお客様にはほんとうに申し訳ない。

ちなみにこのバイトは朝8時から夕方5時までで日給3000円(昼食付)。
毎週きちんと働けば1ヵ月で1万2000円になるので、
当時の田舎の高校生にとっては悪くなかった。
しかし雇用主にとってはこんな人材でよかったのだろうかー、そりゃーいいわけないだろー、
なわけで、今さらながらに申し訳なひ~

毎年この時期になるとそのアルバイトのことをよく思い出すのは、
店主夫婦の息子が7月下旬に行われる相馬野馬追いという祭りに出るために、
6月、7月上旬あたりはいつもほら貝を吹く練習をしていたからである。
祭りを迎える高揚と、祭りに参加するという誇り。
あのほら貝の音色には、そういう特別なものが確かに含まれていたと思う。

今年は。
戦国絵巻「相馬野馬追」絶やさぬ決意


ところで、高校卒業後の進路について悩んでいた夏休み、
このバイト先でお昼をいただいた後に、
おばあちゃん(店主のお母様)と台所で洗い物をしながら話をしたことがあった。
そのときおばあちゃんにこんなことを言われた。
「わたしにもやりたい仕事はあったけれど、わたしたちの若い頃は戦争で
自分の好きなことややりたいことなんて選べる状態じゃなかったのよね。
でも今はもうそんな時代じゃない。
やりたいことがあるならためらわずに向かっていきなさいよ、
今はそれができる世の中なんだもの」


この言葉もまた、夏がくる度に思い出す。
あれからさらに世の中が変われども。

この記事のみを表示する憧れの散歩

ニャーちゃん

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今朝の神楽坂にて。
落とした方が早くこの場所にたどりつけますようにー!

写真とはまったく関係ありませんが、ある夜、近所で、
女性と猫が歩いているところに遭遇したのでした。
女性のほうが前を歩いていて、その後ろをゆっくりと猫がついていっている感じ。
なんというか、「一緒に散歩している」雰囲気が濃厚なのです。
最近は猫にリードをつけて散歩するひともいるようですが、
でもこの女性と猫の間にはそういうものはいっさいなし。
女性は時々猫のほうを振り返るけれど、とくに猫に声をかけるわけでもなく、
猫も甘えるように鳴いてみたりだとか、女性に近づいていったりだとかはしません。
しかしなぜだか「一緒に散歩している」ように見えるのです。

でもまさか、猫があんなふうに外で人間の後をついて歩くはずがないよねー、
とすぐに自分の中の「散歩説」を打ち消しました。
たまたまそういうふうに見えるような歩き方になっているだけで、
一緒に散歩しているわけではないだろうと。

それから少し日にちが経った夜、また近所をてくてく歩いていると、
ある家の玄関から女性が出てきました。
そして女性の「さあ行くよ」という声に続いて、猫も出てきました。
そう、前述した「一緒に散歩している」ように見えた女性と猫です。
ほっ、ほんとに一緒に散歩してたんだー!!

リードも何もつけず、つかず離れずの距離を保ちながら、
猫と一緒に夜のお散歩。
いいなぁ。。。。。と思いました。

しかもその猫ちゃんはかわいい白黒ちゃん。

会いたいなぁ。。。。と思う七夕の夜です。