猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示するおひさまふたりじめ

LIFE



ある日の出勤前、北風の冷たい朝。
でもそこだけはあったかそうだにゃ。



写りこむ人影は、シャッターを押すシャチ。

この記事のみを表示する光都東京・LIGHTOPIA2009

TOKYO



皇居外苑で開催中の『光都東京・LIGHTOPIA2009』
↑は『アンビエント・キャンドルパーク』@和田倉噴水公園。



ひとつひとつに描かれた絵をすべて見ることはできないけれど、
とっても目にあったかーい空間。
あえて書くまでもありませんが、私のへっぽこ写真よりも
実際に見た方がずーっとずーっと素敵です。



こちらもブレブレすぎですが、
お堀の石垣に輝く「光のアート・インスタレーション 光雲」。
三日月と一番星と、遠くに東京タワーと。
写真には写っていないけれど空には飛行船も飛んでいました。
いつもはひっそり静かなこの辺りですが、
この期間はやっぱりお祭りチックで華やか&賑やか。



でもお堀の白鳥さんたちは「師走とかクリスマスとか、知ったこっちゃないよ~」って感じで
いつものように羽づくろい?したりしながら浮かんでいました。
美しいライトアップに心をときめかせる一方で、
こうして変わらない日常が営まれていることにもなんだか気持ちが、ほっ。


そして何より、自分の徒歩通勤ルートでこんな風景に日々出会えることに感謝。
丸の内でお仕事をさせてもらえて、本当によかったなー。
大好きな人もたくさん丸の内にできたしネうふふ
ありがとうありがとう

この記事のみを表示する真剣―マジ―

ニャーちゃん



めさめさ真剣<マジ>!!



じーーーーっと、真剣<マジ>!!



なぜこんなにマジな眼になっているかというと、
あのおもちゃを捕まえたいからニャ!!



おっ、きたぞっ、今ニャ!!



あ、空振っちゃったニャン


まったく自分の気持ち(エゴ)至上主義な話だけど、
ニャーちゃんの写真をたくさん撮っておいてよかったなと思う
(もちろんもっといっぱい撮っておけばよかったと思うし、
欲をいえば動画も撮っておけばよかったなぁとも思うけど)。
写真を見ていると会いたくてたまらなくなることもあるけれど、
それ以上に、こんなかわいこちゃんに仲良くしてもらっていた日々の思い出が
限りなく幸せで、今も胸を温かくしてもらっている。

どこかでもっともっとかわいがられて幸せでありますように
(きっとそうであるはずだと信じているけどニャ☆)。

この記事のみを表示する'90年初バリから変わらないもの

BALI―1990年



わあ、かわいいね!
写真を撮らせてもらってもいい?
……と日本語で話しかけてカメラを向ける私……
初バリの時から変わってません(爆)。

妹や弟の面倒をよくみているおねえちゃんやおにいちゃんたちの姿も
変わらないなぁと思います。



「僕も撮って~!!」とカメラの前に子供達が集まってくるのも、変わらないかな。
写真を撮ってほしくてカメラの前に立つのだけれど、
人の後ろに隠れてしまう恥ずかしがりやさんにもよく出会います。
その可愛らしさにはいつもキュンときてしまう。



ワルンでまったり~のひとときも、もちろんいつでも大切なもの。



泉の底から湧き出る聖なる水の美しさも変わらず。
@Pura Tirta Empul



パサールの写真は去年撮りました、といっても通用してしまうくらい!?、
基本的にこの雰囲気は変わらないですよねー。



パサール付近の川は今はもっと汚れているのかもしれませぬが。



ガルンガンの時期、車窓からの風景。



寺院に向かう人々を車窓からパチリ。
これも相変わらず今でもやっている私。



南の島の、のどかな昼下がり。
自然の音だけが耳にそっと語りかけてくるような静かな時間。
いつまでも変わってほしくないなあと思います。


すべては移ろいゆくものだし、変わらないことがいいことだとも思わないけれど、
でも変えられないものや変わりようのないものって、ある。
そういうものの中に、自分にとって大切にしていきたいものやことが
宿っているのを感じるのです……うまくいえないけど。


なんだか中途半端な記事ですが、再びの1990年シリーズでした。
同シリーズの過去記事はこちら↓
1990年のウブド
1990年のサヌール
1990年のパサールバドゥン
1990年のクタビーチ
1990年のキンタマーニ
1990年のアディダルマコテージ@クタ

この記事のみを表示するSUKIYAKI雑感

FOODS

ずっと前のことだけど、クライアントの会社のエライさんに、
近所のスーパーで買い物をした帰りにばったり会ったことがあった。
ほとんどすっぴんで所帯じみた姿の私の手にはもちろんスーパーの袋。
その袋の中からは長ネギがにょきっと顔を出している。
当然、エライさんの視線もそれとはなしに長ネギのほうへ……。
あー恥ずかしいと思いながら、そそくさと挨拶を交わし、その場を去った。

数日後、その会社の女子社員に仕事で会った。
すると、「そういえばグヌンさん、先日、うちのエライさんにスーパーの前で
会ったそうですね~」と女子。
「ええ、そうなんですよ……っていうかお聞きになったんですね」
と赤面しながら返すと、
「だってエライさん、その日会社に戻ってくるなり、
『さっきグヌンさんとスーパーの前で会ってさ~!
ネギ持ってたから、きっとグヌンさんちの今夜の晩めしはすき焼きだな!!』

って言ってましたから~」と女子。

ぬほ~~~!
ネギを持っていたからって、すなわちすき焼きと決めつけてくれるとは!!
ありえねえっす、ありえねえっすぅ~~~!!

いやー高く見積もってくださって(!?)ありがとうございます~、
となんだかお礼を言いたくなったほどじゃった。

実際、すき焼きって我が家めしにはまんずありえないメニューですぜ……。

すき焼きといえば、上京してきたばかりの頃、
地方出身者同士で実家でのごはんの話なんかをすると、
「うちではすき焼きといえば豚肉だった」という人が結構いたのもうれしかったのじゃ。
なぜならばうちもそうだったからじゃ。
それは主に経済的な事情で牛より豚チョイス!だったのではと思われるのじゃが、
でも今は、すき焼きに豚肉、ありでしょ!と味覚的にも思うな。豚好きだから。

これまた昔の話だけど、ウブドの和食レストラン『UBUD RAYA』のメニューに
すき焼きがあったことがあった(今もあるのかな?)。
それを肉好きのバリ人の友達に食べてほしくてごちそうしたことがあるのじゃが、
彼はすき焼きに欠かせない「あれ」がどうしてもダメだったのじゃった。

それは生卵。
溶き卵に肉だの野菜だのをくぐらせて食べるというのが
めちゃくちゃ「キモイ!!ありえねえ!!」ということじゃったらしい。
速攻でお店の人に「この卵、目玉焼きにして!」と別途オーダーしていたのじゃった。
かくして彼は目玉焼きをつつきながら、すき焼きの肉や野菜を食べていたのじゃが、
日本人の私からしてみるとそれはちょっとばかりシュールな光景じゃった。

だいたい、いつもスプライトに卵黄を落として丸ごと飲んでるくせに、
なぜに溶き卵はダメなのじゃ!?
と思ったけど、私もすき焼きの溶き卵や卵かけ御飯は好きじゃが、
卵黄の丸飲みはできないもんなぁ。。。。。


ここにアップした写真はすき焼きとは何も関係ないことは一目瞭然じゃが、
SUKIYAKIといえば『上を向いて歩こう』よね、
ということで上向きな写真をアップしてみました(←こじつけすぎ)。
実は最近使い始めた超低価格コンデジが28ミリ広角レンズで、
今までとちょっと違う写真が撮れるようになったことにちと自己満足中
(構図とかはまだまだ修行が足りないけれど)。
ただ、接写がどうもいまいちなんじゃよねーこのカメラ……。
って、果たしてカメラのせいなのか?
でもとにかく広角レンズはうれしい!!

この記事のみを表示するかわいらしさに胸ときめく。

TOKYO



こんなにちっちゃい、



メリーゴーラウンドは初めて見た~♪
かわいい。



ビミョーにやりすぎ?な感じもありますが、
丸の内の牛さんたちもクリスマスモードで活躍中。
かわいい。



ツリーをじっと見つめるお母さんと赤ちゃん。
あったかい。
かわいい。

所変わって……


おー、幻の生マッコリなんていいなぁ。
と食い入るように読んでいたら


ああかわいい~
(画像でかすぎで失礼します)
たからね、わたしはほんとこういうのに弱いのですー。


先日は仕事先で、結構ごっつい男性が机の上から大事な物を落としたか何かした時に
「ニャー!!!」
ととっさに叫んだのがツボに入りまくり。
かわいすぎました。

前にも書いたことがあるのですが、
私にとって「かわいい」と思えることって、とってもとっても大切で。
最近はいろんな人の今まで知らなかった「人としてのかわいい部分」に触れて、
胸がときめきまくりです。
ドキドキしすぎて心拍数上がりっぱなしです。
あーもうこりゃ困ったわンというメールを友達に送ったら
「胸はトキメクためにあるのです」という返信が。

うん、そうですね。

ドキドキしていてニマニマしていて、なかなかに素敵な12月です。

この記事のみを表示するオゴオゴドライブ

BALI―オゴオゴ&ニュピ



いつもならクルマでただ通り過ぎてしまうような、
小さな村の小さなバンジャールで
オゴオゴ及びそれを作る人々に出会えた時の喜びよ。

ひとりでクルマを降りて挨拶だけさせていただくときもあれば、
ドライバくんと一緒に訪ねてしばらくお話を伺うときもある。

そういうちょっとした交流の中で、
「どこそこのバンジャールのオゴオゴはすごいよ」
と地元情報を教えてもらうこともある。
でも彼らはもちろん、「もっとすごいオゴオゴがあるよ」
という言い方はしない。
すごいものはすごい、おもしろいものはおもしろいと素直に認めているけれど、
それは決して比較級を使って語られるものではない。
誰もがみんな自分のところのオゴオゴを何より大切に思っている。
だからこそ、そもそも比較する必要がないのである。

見て楽しむ、楽しんでもらうとかいうこと以前に、
自分たちのオゴオゴに命を吹き込むこと。魂を注ぎ込むこと。
それが彼らのもっともやりたいことであり使命なのだということが、
オゴオゴの制作現場におじゃまするとひしひしと伝わってくる。

オゴオゴ(探し&見学)ドライブ中の自分のテンションが
いつもよりずっと高めで上げ上げで楽しいのは、
彼らに対する純粋なリスペクトで胸がいっぱいになっているから、といえる。
いろんなことはもちろんあるけれど、
それによっていやな感情が入り込んでくるすき間は、
その時の私の胸の中にはない。
そのくらいリスペクト&ラブ。

出会えることが、本当にうれしい。

この記事のみを表示する冬ビールの贅沢

FOODS



実は夏より冬のほうがビールって美味しいよね、
という話を最近誰かと飲む度にしている。
夏の暑い日に飲むキンキンに冷えたビールの最初の一口には
このうえない幸福感がもちろんあるのだけれど、
屋内飲みの場合はその後クーラーによって体が冷えてくるため、
ビールの美味しさも時間とともに半減していく……
というかそんなには飲めない。
夏の外飲みは大好きだけど、ビールの味ということだけを考えれば、
暑さですぐにぬるくなってしまうのがちょっと残念なところ。

冬は空気が乾燥しているので、やはり最初の一口が激うま。
そして暖房のきいた屋内では、冷えたビールが常時美味しい!
贅沢じゃ~まことに贅沢じゃ~
もともとビール好きなのじゃが、
冬はますます好きになるのじゃ~

そんなビール談義を先日も飲みながらしていたら、
「家飲みなら缶ビールは500mlじゃなくて絶対350が2本ね!
そしてグラスはできるだけ小さいものを使う!
それが冷たいビールを美味しく味わう秘訣なのさ~」
と家飲み哲学?を披露してくれたお方も。
ビールを飲みながら、ビールを想い、ビールについて語り合う。
ああ素晴らしきこのビール愛。

ところでトップのクリーミィな泡立ちのビールは、



神保町の『ビヤホール ランチョン』でいただいたもの。
11月下旬の訪問時、ランチョンでは創業100周年記念として、
生ビールを1杯100円で提供しておったのじゃ。
そういうサービスがあるとはまったく知らずに訪れたので、なんだかトクした気分♪
さらに、この「特製100周年グラス」もひとついただいたのじゃ。



↑画像がまがっていてすみませぬ。
その特製100周年グラスの構造はこんなふうになっているのじゃ。
でも自分で注ぐとなんだかいまいちなのじゃった。
これから修行を積むのじゃ。



この日ランチョンを訪れたそもそもの目的は↑このカツサンド。

去年もアップしたけれど、やっぱり美味しい~!!ということで再アップ。
ビヤホールのカツサンドなだけに、ビールに合うんじゃなあ、これが。

というわけで底なし沼のように飲んでは正体不明なハジケ方をして、
翌朝目覚めた時に恥ずかしさのあまり激しく落ち込む…の繰り返しの年末じゃが、
皆様におかれましても、酒は飲んでも飲まれませぬよう。
っておまえがゆーなよな、ってとこですわねーオホホ

この記事のみを表示するそうとは思わずに生きている

LIFE



今、仕事でお世話になっているオフィスビルの中に小さな書店があり、
お昼休みなどによく利用していた。
その書店の向かいにはコンビニエンスストアがあるのだが、
たとえば最新刊の雑誌を買うならコンビニではなく、書店で買うようにしていた。
なんとなく自分の中で決めていることとして、
本屋さんに入ったら少なくとも一冊は何か購入して出たいと思っている。
読みたいものはいつでも何かしら必ずあるものじゃからの。

しかし11月の終わり頃、そのオフィスビル内のコンビニに買い物に行って、
ついでに雑誌もそこで一緒に買ってしまった。
コンビニを出て、向かいの書店の前を通る時、
なんだかちょっと後ろめたいような、申し訳ないような気持ちがした。
「また今度買いにきます」と心の中で言いながら通り過ぎた。

結局、営業中のその書店を見たのは、それが最後になってしまった。

12月に入り、読みたい本でも探そうと行ってみたら、
書店があった場所にはシャッターが降りていて、
「都合により11月末日で閉店致しました」という小さな貼り紙だけが残されていた。

毎日その書店をのぞいていたわけではないし、
店じまいをする予定があることなどもまったく知らなかった。
あまりにも突然のことで、ショックを受けた。

そして後悔した。
後悔先に立たずとはまさにこのことである。
11月の終わり頃のあの日、やっぱりコンビニではなく書店で雑誌を買えばよかった。
それで何が変わるというわけでもないし、
店員さんも閉店のことは知らせてくれなかったかもしれない。
でも私はそうするべきだった。
今まで多くの本や雑誌と、この書店で出会わせてもらったのに。


このことだけに限らず、
いつも「これが最後」「これで終わり」などとは思わずに生きている。
また明日、また今度、またいつか、って、無意識のうちに
根拠もなく未来を信じて生きている。
でも確実に終わりというものはあって、
もう明日も今度もない、という日が本当に唐突にやってくる。
生きていればこそ、そういうことがあるのも必然なのかもしれないけれど、
あまりにもいろんな局面においてそれを痛感した2009年であった……
といきなり今年を振り返りモードなわけじゃが。

「またね」って元気よく手を振って、再会を信じて別れた人の笑顔が、
自分にとっての最後の面影になることもある。

逆らえないことだけれど、寂しい。

その書店がなくなってしまったことも、今はとても寂しい。


寂しいけれど生きている限りは明日を信じて生き続けるのだ。
しかし、それがいつか絶える日がくることも、どこかで意識しながら。
それしかないのじゃな。

この記事のみを表示する新米で「葱めし」

FOODS



農家の叔父からおすそ分けしていただいた新米を
土鍋でコトコト炊いて、「葱めし」を作りました。

これは田辺聖子さんの『鏡をみてはいけません』(集英社文庫)の中で
主人公の女性が作る「私のアイデア御飯」として登場する一品。

 関西でわけぎという細い葱を細かく刻み、
それにちりめんじゃこ、海苔をさっとあぶって手で揉んだものを
御飯にわっさりと混ぜる。
 これにアクセントとして、梅干しの果肉と皮を箸でこまかくほぐしたもの。
葱の青み、海苔の黒と梅干しの赤が点々として食欲をそそられる。
葱のおいしさが引き立つ。それに味噌汁は、わかめとじゃが芋。
身欠き鰊の煮いたのと、里芋の照りのいい煮っころばし。
「葱めし。――こんな、おいしいものはないよう。
ひとくち食べると、肋の下で心臓が、ハガ、ハガというくらいだぞう」
 と、宵太にいいながら、私は茶碗によそってやる。
(同書・P176より)


うむぅ~、こりゃおいしそうじゃ~!
と本を読みながらもよだれが出てきそうだったのですが、
実際に食べてみたら本当に思わず顔がほころんでしまうおいしさ。
この主人公がもともと葱が大好きなので思いついた御飯という話なのですが、
葱好きにはほんとにこりゃたまりませーん。


ちなみに私が敬愛する日本の二大女性作家は
田辺聖子さんと向田邦子さんなのですが、
このおふたりの食べ物の描写は本当にそそる!そそられる!
本によっては、美味しそうなものが満載すぎでたまりません。
好きな理由はもちろんそれだけではないけれど、
一言でいうと、やっぱり食いしん坊バンザーイ!と思うのでありまする