猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示するBefore they make me run

LIFE


I'm gonna walk before they make me run
無理矢理走らされる前に歩くんだ


とは キース・リチャーズが歌う名フレーズ。


そうさ。無理矢理走らされるのはいやなのさ。
それはいやなんだけど、最近自ら走りたいなという気持ちになっている。
しかし今の自分の体の状態で急に走り始めたら、
足腰や心臓にめっちゃ負担がかかるだろうなと予想できる。
というわけで、まずは歩いている。
平日であれば仕事の帰り、何も寄り道する用事がないときは
皇居の二重橋の辺りから神楽坂まで歩く。
私ののろのろ歩きで1時間ほどなので、そんなにたいした距離ではないのだけれど、
1日中机に向かって細かい文字を追うような作業をしていると、
帰りに歩くことがものすごく疲労解消につながる。
目も頭もとても休まるし、椅子に座りっぱなしで固まっていた体がほぐれる。
ただ歩くだけで。
どうしてもっと前からやらなかったのだろうと思う、徒歩帰宅。



皇居のまわりは空が広い。



だんだん日が短くなっていくから、
これからの季節は夕方の風景はあまり楽しめなくなりそうだけど、
ほんとに歩いていて気持ちがいいところなのだわ、皇居周辺。
走っている人のほうが断然多いが、その理由もよくわかる。



私は子供の頃からとっても足が遅い。走るのも苦手だし、嫌いである。
小学生の頃、毎年マラソン大会があって、
私の順位はいつも約70人中50番台後半だった。
しかし小学5年生くらいの頃だったか、一念発起をして、
マラソン大会に向けて1ヵ月間ほど毎日走りこんだ。
距離にすると1kmくらいかな。そんなものだったけど、とにかく毎日走った。
そしたらその年のマラソン大会では23位になった。忘れないよこの23という数字は(笑)。
小学時代のそんな話を今さら持ち出すとは過去の栄光!?にもほどがありすぎるけど、
その体験はいろんなことを私に教えてくれた。
たとえば、どんなに頑張っても足が劇的に速くなるということはないし、
運動能力が飛躍的に高くなるわけでもないのだけれど、
地道に走り続けていたら体力や持久力は確実につくのだということを。

大人になってからもジョギングとかではないのだけれど、
ちょっとばかり毎日走っていた時期がある。
その頃もやっぱり最初はきつかった。
しかし、そのうちだんだんと走ることがラクになっていく、
走っていることが楽しくなっていく、そんな実感があった。
そして、はっきりいって、走っていた頃の自分はやせていた(爆)。

その感覚を今、取り戻したいなぁと思う。走ることの爽快感も、体の軽さも。



ちゃんと走れるようになってからブログにアップしろよー、と
自分で自分に言いたいところでもあるのだけれど、
今、歩くことが気持ちいい。
とりあえずは歩き続けて、やがては走ることにつなげていきたい。
という今現在の志を宣言しておこうと思ったのだ。
こーゆーことは有言実行でいきたいので。
とかいってもこんなことを書くのは恥ずかしかったりもするのも事実だったり……。

しかしついでに、走れるようになった時の夢も書いておこう。
目下の夢は、ニューヨークに行って、セントラルパークでジョギングをすることです?
夢があるって楽しいな~ルルル~♪
もちろんその前に皇居のまわりを走りたい。



あの屋根は武道館だよ、おっかさん。

いつか。近いうちに。
I'm gonna run before they make me run
無理矢理走らされる前に走るんだ

などと歌ってみたいものである。


タフな体と心を持ちたいと思うのだニャ。

この記事のみを表示する飛行機の中で

過去の旅


ひとりで飛行機に乗ると、なぜか隣の席の人もひとり旅であることが多い。
海外への空の旅では、そうした“ひとり者同士”、何となく話をすることも多い。
私はもともとそんなに自分から積極的に話しかけるほうではないし、
隣の人も一見そう話好きなタイプではなさそうだったりするのだけど、
機内食タイムになるとどちらからともなく、何でもないことを話し始める。
食事の時って自然と話をしたくなるものなのかも、それが機内食であっても。
長いフライトなら、その後お互い本を読んだり、眠ったりと過ごし方はいろいろだけど、
数時間を供にする間にはやっぱり何度か言葉を交わす。
たとえばガルーダインドネシア航空なら隣の人の行き先もほぼ100%バリ島なので、
バリ島の話で盛り上がったりすることもある。

これがシンガポール航空だとちょっと違う。
成田―シンガポール間の乗客の目的地は本当にさまざまだから。
もちろん行き先がシンガポールという人も多いが、
シンガポールを経由して他の国に行く人も多く、
その「他の国」の数もちょっとした多さなので、
バリ島に行くことしか頭にない私としては、隣の人の行き先を聞いて
「へえ~、そんなところにもシンガポールから行けちゃうんですね~」
なんて無知まるだしな感心の仕方をすることもある。
世界はこんなに広いというのに。

これもやっぱり10年以上前のことになると思うのだけど、
シンガポール航空の成田からシンガポールへ向かう便に乗った時、
隣の席の人がやはりひとり旅の男性で、機内食タイムをきっかけに話をした。
その人は某テレビ局のディレクターで、これからドキュメンタリー番組の
ロケハンのためにバングラデシュへ向かうということだった。
当時シリーズ化されていたそのアジア関連のドキュメンタリー番組は
毎週決まった時間に放映されていて、私も好きでよく観ていた。
といっても「その番組のファンなんです~」なんてことは
なんだかお世辞っぽすぎてとても言えなかったけれど。

私はバリ島に行くのだ、と言った。
「バリかあ、いいなあ。豊かだものね」
その人は大きなため息をついて言う。
「これから行くところはね……、着いた瞬間から
いつもものすごく陰鬱な気持ちになっちゃうんだよね……」
多くは語らない。
でもきっと計り知れないほど多くの現実を今まで見てきているのだろう、ということは
少ないけれど重みのある言葉から感じられた。
行ったことのない、行こうとも思ったことのないその国のことを
ほんの少しだけ想像する。

お互いの仕事の話も少しする中で、その人は言った。
「テレビカメラが入ることのできない領域ってまだまだたくさんあってね、
映像で伝えることができることにはどうしても限界があるんだよね。
だから、」
私の目をまっすぐに見た。
「テレビに映っていることがすべてだとは思わないでね」


今どきテレビに映っていることがすべてだとは
ちっちゃな子供ですらあまり思わないだろう。きっと。
でもニュースとかドキュメンタリーとか、
「事実」や「真実」を映しているように見えるものの外側に、撮影できない場所に、
そういうところにこそ存在している「現実」を
自分は果たしてちゃんと想像できているだろうか? と
この時の会話をふと思い出す度に考える。
今、目に見えていること以外の部分にまで
ちゃんと目を向けようとしているだろうか、と。
テレビのことだけに限らず。
なかなかこれができなかったりするんだなー、私には。甘いぜ。


そしてその仕事に携わり、きっと自分にできる限りのすべてを伝えたいと渇望しながら、
そのためにその場所へと向かいながら、
機内でたまたま隣り合わせた通りすがりの私に
「すべてを伝えることはできないんだ」とこぼさずにはいられなかった、
職業人としてのその人のある種のもどかしさややるせなさを、時々想う。

この記事のみを表示するわたしのツボ

LIFE




ケラリーノ氏のこの記事に思わず爆笑。

私は食べることも、食べ物の写真を撮ることも、
その写真をブログにアップする(記録する)ことも好き。
意味はとくに深く考えたことはなかったんだけど……
今後はちょっと考えたいと思います!?(←いいかげんすぎるかしら)

でも「あたしの身長の3倍のパフェ」があったら、
やっぱり絶対ブログに載せたいと思うだろうなぁー、
そりゃあもう。


面白すぎる記事なので貼らせていただきました♪


この記事のみを表示するあなたのバリはどうでしたか?―1990年のあのひとへ―

BALI―1990年



1990年の初バリのエアはコンチネンタル航空。
成田から経由地のグアムまでの機材は3列―3列シート。
見た目も小さいけれど、機内もかなり狭くて窮屈。
しかし私は設備とか機内食のメニューとかまったく目に入らないくらい、
脂汗だらだらで震えていました、極度の高所恐怖症だったので。



この記事のみを表示する外苑前でラワールを♪@Bli MADE

FOODS



東京でバリの味に飢えている方に朗報です♪
↑こんなにたーっぷりラワールをいただけるお店があるのです♪
青山・外苑前(ベルコモンズのすぐ近く)にある、
『Bli MADE』です。



サンバルマタもあるんだよ~♪

ラワールにサンバルマタとくれば、



やっぱりナシプティでしょ!

というわけで



即席ナシチャンプルさあ~!

いやーまじで涙が出そうになりました、久しぶりのバリの味に。
だってこれぞバリの味というお味なんですよ、本当に。



もちろんビンタンもはずせません♪



アラックもね♪
ふたりでフルボトルは多いよねーということでハーフボトルにしたのですが、
結局ハーフボトルを2本飲んだので、フルでもよかったのじゃん……。
オンザロックでいただきました。
酔っぱらいました。



酔っぱらっていたせいかブレブレの写真ばかりになってしまいましたが、
↑サテリリッ!! めっちゃ美味しい!! めっちゃバリの味!! めっちゃスパイシー!!
ああまた涙が~。



テンペ&ケチャップマニスもバグース!!



さっぱり甘酢のアチャール!! 箸休めにぴったりです。



サバのペペスイカン!!
いかんよ、こりゃあ、いかんですよ、美味しすぎて。



ウラブ!!
日本でウラブがいただけるとは嬉しい、本気で嬉しい。



サンバルマタも2皿目~!
ウラブとサンバルマタもご飯にまぜまぜ……ああまたまた涙が。
サンバルマタの爆弾青唐辛子!? によって
久しぶりに「辛~~い!!!!」涙も流しましたが(笑)。

かなり胃袋の大きさには自信のある私も、さすがに満腹。
もっと胃袋が欲しいー!!!
バビケチャップとか、バリなバビ料理やアヤム料理もいろいろありましたが
この日はそこまではたどりつけませんでした。



しかもちょっと残ってしまったので、
もちろんブンクスにしていただきました。
もちろん家でもナシチャンプルラギ~!!でしたわよ、うふふ。



これらの美味しいバリ料理を作ってくださったのは、
オーナーシェフのマデさん。

実はマデさんはKEMEちゃんご一家が日本にいた頃に開催してくれた、
バリごはん三昧の夕べ
バビグリン@千葉
料理部長を務めて下さったお方。
ずっと都内のインドネシア料理店で修行を積んで、
今年の6月に長年の夢だった自分のお店をオープンしたのでした。
素晴らしい!!

でも友達だからとお世辞で書いているわけではなくて(つかそもそもそんなことはできない)、
本当に美味しいです!!
ここまで本島そのもののバリ料理が東京で味わえるのは貴重!! うれしい!!
ほんとーに超おすすめです!!!!!
バリが、バリの味が恋しくなったら、迷わずこのお店へレッツラゴーですよ~!!

*ちょっとばかり興奮しすぎな記事で失礼しました、おほほ*

『ウブドの宿 ルナ・ゲストハウス』のケメちゃんも
こちらの記事で『Bli Made』の紹介をされています!
美味しそうな写真がいっぱいアップされてますよー!
あ、「美味しそう」じゃなくて、「美味しい!」んです、ほんとうに♪♪

この記事のみを表示するいつもの場所は、ここだ。

BALI―1990年

「いつもの場所」ってのが素敵だ♪

'90年のクタにて。

この記事のみを表示する1990年のアディダルマコテージ@クタ

BALI―1990年



'90年初バリ・格安パッケージツアーで滞在したお宿は、
ジャランラヤレギャンにある『アディダルマコテージ』でした。
現在はお部屋などはリノベーションされているのではと思いますが、
2年前にレギャン通りをクルマで通った時は、
↑このレストランはほぼこの当時のままの雰囲気で営業されていました。
泊まったのは初バリの時のみですが、
クタに行くと、今でも必ずこのお宿の存在はチェックせずにはいられません。
変わらずそこにあることを確認できるとうれしくなるのです、
なんだかね。



それにつけても、初バリ初日の夜は何かと恐ろしい気分に襲われて
なかなか寝付けなかったものでした。



真夜中に奇妙な鳴き声が聞こえて……、あれはいったい何!? 何の声なの~~!?

今なら「ああトッケイが鳴いてる♪」とワクワクしたりもするのですが、
正体が分からないうちは本当に不気味なものでしかありませんでした、あの声。

さらには午前3時ぐらいから、近所の鶏たちが威勢よく鳴き出すし。
ねーこんな時間から何なのー、いったい何なのこの島のニワトリは~~。
可笑しくもあるけど、眠れないー。
今は何時に鶏が鳴こうとも気にせず寝てるんですけどね。

でも朝がきたら。



カーテン越しに南国の朝の光が部屋の中に差し込んでいて幸せな気持ちに。
このカーテンも可愛い~! と感激したものでした。
カーテンに描かれている絵を勝手に「王女様」と当時は呼んでいましたが、
正しくは?稲の神様デウィ・スリなのですね、多分。



バス・トイレは部屋の外、
半オープンのスペースにありました。



バスタブのまわりにはこんな石が配されていて野趣あふれる雰囲気。
当時の自分にとっては非常に新鮮だったのです、こういう造りが。



ちょっと散らかってて失礼しますが、
部屋そのものもバンブーをベースにしたナチュラルテイスト。
イカットクッションの置かれたシッティングスペースとか
チーク材っぽいクローゼットとか。
さらに冷蔵庫やエアコンなど設備も十分でした。
今写真で見るとなんてことないなとも思うのですが、
当時は何もかもが「バリなんだわ~」って感じがして
いちいちウキウキ&満足していたものでした。



部屋に飾られていた、伝統的なカマサンスタイルの絵。



そう、この宿はバリの伝統的なスタイルを大切にしていたようです。
パブリックエリアと客室エリアをつなぐ門もこんな感じで。
敷地内には石像もいろいろありました。



庭は緑がいっぱい、プールもありました。
アディダルマは、'90年当時はバリ島格安ツアーといえば
必ずクタエリアの候補に入っているホテルのひとつでしたが、
確かにビギナーでも安心&使いやすく、しかもバリらしさも感じられる
いいお宿だったと思います。
あえてまた泊まりたいとは思うことなく今まで過ごしてきたのですが、
でもずーっと忘れられない一軒であるのも確かです。
来年は自分の渡バリ20周年記念ということで、
初バリ以来に泊まってみるのもいいかもねー、
なんてちょっと思ったりもしています(but予定は未定)。

この記事のみを表示する1990年のキンタマーニ

BALI―1990年



ペネロカンのレストランから見た、キンタマーニの道。

何度もしつこいですが、この記事この記事で触れた、
'90年初バリでの1日観光ツアーで訪れた時の写真です。
ちなみにツアーといっても参加者は私と友達のみでした。



薔薇が咲いていました。
バリバラ。



それまで見たことのなかった植物なども。



天気がいまいちでしたが、
それでも初めてこの景色を目の前にした時は、
柄にもなく「きゃあ~っ♪♪」と思わず叫んでしまいました。
想像以上の絶景に。
この写真からはあまりその感動は伝わらないかとは思いますが(泣)。

でもこの後も何度か行っているのですが、やっぱり見る度に
「うわあ~」と感嘆してしまう景色です。好きだな。



バトゥール湖。
東側(この写真では上側)のほとりに風葬で知られるトゥルニャン村が。
今まで何度か行こうと試みたけれど、悪天候でボートが出なかったり、
あるいはふっかけられたボート代があまりにも法外な金額だったりして、
結局行くことができていない……ということをふと思い出しました。
いつかリベンジしたいものだのぉ。



バトゥール山。
初バリから3年後の、'93年に登ってみました。
しかし早朝から3時間とか4時間とかかけて歩き続けたのに、
結局山頂に到達することはできなかったのでした。
当時は体力なさすぎな自分を情けなく思ったものでしたが、
いつかリベンジする気はまったくないのだのぉ(というか、もう無理ですわほんとに)。



1日観光ツアーのお昼ご飯はバイキング。
このレストランも今は建て替えられているのだろうな、きっと。

しかしそういえば自分たちがテーブルで食事をしている写真は撮っているのですが、
料理のみの写真というのはこの旅行では1枚も撮っていないのでした。



それなのにこんな写真は撮っている……。
誰か知らない人の吸殻が入っているのですが(汗)、
この灰皿の可愛らしさにちょっとときめいたのでした。


バトゥール湖の西岸・トヤブンカには素敵な温泉も♪

この記事のみを表示する1990年のクタビーチ

BALI―1990年



1990年のクタビーチでは、ビーチの入り口のところに料金所のようなものがあり、
そこでビーチへの入場料を支払わなければなりませんでした。
日本円にしたら多分10円とかその程度の額だったと思うのですが、
1日に何度もビーチに行くとなるとその都度払うのは抵抗がある(セコっ)。
例えば朝はちゃんと払っても、夕方は入り口を通らずに
↑の柵を乗り越えて中に入ったりしていました。
今はこの柵も、入場料もなくなっていますね(もうずいぶん前からですが)。



あちらの欧米人の方のように砂浜でのんびりするのが夢だったのですが、
砂浜に座ったとたんミチュアミ&マッサージおばちゃん達に囲まれ大騒ぎに。
そのことについての記事はこちら)。
初バリ&初クタの洗礼をたっぷり受けたものでしたわぁ(笑)。



サーファーもワンコも一緒に泳ぐ海に、我々も入りました。
海水の温度がぬるいというか、あったかい! 故郷の太平洋とは違うぜ!
まるで温泉みたい~、♪いい湯だな~ハハハン、と
海に首までつかって歌っていたオレ……、優雅すぎだろ(爆)。



離れたところからでも、ずーっと「コンニチハー」などと
我々に向かって声をかけ続ける売店ボーイズ。
やかましすぎるよこのビーチは! と当時は思ったものでしたが、
今写真で見るとえらい素朴な感じですね……。


さて、クタビーチといえばサンセット!
夕陽ももちろん見に行きました。



わー、もうすぐ沈むよ~!
柵を乗り越えて砂浜へ。



水平線に沈んでいく太陽に大感動&大興奮。



ああ~太陽が半分になっちゃった~。



サヨナラ、サヨナラ、また明日。



夕空は、太陽が沈みきった後が
もっとも美しいものなんだなぁと初めて知った日。
実際はもっとずっときれいでした。
写真は色あせても、あの時まぶたの裏に焼きついた光景は今も変わらず、
人生に一度きりの夕陽の色として心に残っているのでした。


1995年前後のクタの夕焼け。

この記事のみを表示する1990年のパサールバドゥン

BALI―1990年



1990年の初バリ。
やっぱり朝市は行っときたいぞ! ということで
オプショナル1日観光ツアー(前回・前々回の記事)とは別に、
朝市のみのツアーにオプションで申し込み。
滞在先のクタのホテルを朝5時半頃出発して、
デンパサールのパサールバドゥンに着いたのは6時くらいだったかな?



すでに人がいっぱい、活気に満ちた市場の風景に興奮!



売られているものを見るよりも、
売り買いしている人たちを見るのが楽しかったな。



興奮して、ただひたすらにパシャパシャ写真を撮る。
今見ると一眼レフを使っているわりにそれを生かしきれていないというか
へたくそだなーと思うけど、それでもこの頃が一番写真を撮ることが
楽しくて大好きだった時期かもしれません。



食材がこんなに大量に売られているのを見るのも
当然のことながら初めてでした。



この唐辛子トラック、どこからきたのか。
それともどこへ行くのか、かな?



ブレブレすぎですが、建物の中では魚も売られていました。
強烈な生臭さ。



鶏肉も丸ごと、むきだしで。
強烈な生命感。



市場にあった看板。
なんだかカッコイイなーと思って撮影。
後にインドネシア語を習って、「ゴミ捨て禁止」と書かれているのだと知った時には、
意味もわからず撮っていた自分をアホだなぁと思ったけど、
何も知らなかったあの頃も、ちょっとはわかるようになった今も、
それぞれになんだかいとおしいものだねーなんて思ったりします。
どういう形にしろ、ずっとバリ島に関わってこられたということだもんね。



記憶があいまいなのですが、
パサールバドゥンの一角あるいは近くにお寺があったようです。



この初バリの時はちょうどガルンガンと重なっていたのでした
(バリに行くまでガルンガンのガの字も知りませんでしたが、
ガイドさんが「日本のお盆のようなものです」と教えてくれました)。



美しい島だなぁと思いました。
観光地としての様々な顔も、信仰とともにある人々の暮らしも、
混沌とした市場や街も、静寂の中に佇む寺院も、
全部ひっくるめて、ああきれいだなぁ、って。

「どうしてバリが好きなの?」と聞かれても、いまだにうまく答えられないけれど、
こうして初バリを振り返っていたら、
好きになる理由だらけじゃん、とつくづく思いました。
その理由を一言で的確に表現するのはやっぱり難しいのですが、
そりゃあ好きになって何度も通いたくなったのは当然だべさ、って
非常に自分で自分に納得。
うーんっ、なんだかすっごく新鮮な気持ちだ~!!(爆)

この超自己満足な初バリ振り返りシリーズはもうちょっと続きますです。