猫とワタシ

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背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示するオゴオゴの装飾

BALI―オゴオゴ&ニュピ



オゴオゴを作るバリの人々を私が尊敬してやまないのは、
自分自身に芸術的センスや図画工作の才能・教養がまったくないため、と
いうのもあるかもしれません。
↑このオゴオゴの帯(ampok-ampokっていうのかな?)を初めて見た時も、
こういう型紙があるのかなーとか、すでにこういう既製品が市販されていたり
するのかなーとか、あるいはこういう形に一気に抜けるオートカッター的なものが
実はあるのかなーとか私は安直に思っていたのですが。



しかし。これ↑はトップの写真とは別のところ(クタ)のものですが、
トップの写真のところ(デンパサール)で見学した時もここと同じように、
白い厚紙に鉛筆で手描きされた模様をひとつひとつ手作業で
くり抜いていたのでした。
その後に、さらにその上から金の紙を貼り付けて、また模様に沿って切り抜いていく。
手先の不器用な私からしてみると、まじで気が遠くなりそうな作業です。



(再びトップの写真のところ)
帯だけでなく、首飾りや手足につける飾りも、すべてパーツごとに手作り。
イメージするデザインやオゴオゴの大きさに沿ってつなぎ合わせたりしながら、
ひとつのアクセサリーとして完成させていきます。



そして装着。
すべての飾りをこのオゴオゴの体にジャストフィットさせなくてはならないのだから、
既製品とかはやっぱりありえないんだ、とこの時すごーく思いました。
考えてみれば当たり前なんだけど。

それにしても非常に下世話なことではありますが、
これだけ細かく作っても、パレードで練り歩いている時にそこまで観衆から
注目されたり評価されることはほとんどないと思うし、当然一銭にもならないし、
というか終わったら原則的には燃やされる運命のオゴオゴ
(最近は燃やさないところも増えているようだけど)。
でも作る人はオゴオゴというハリボテに命を宿すことだけを考えて、
どんな細部にまでも手を抜かないものなのだ、ということは
オゴオゴ作りを見学させてもらうようになって、よくわかったことのひとつです。

この記事のみを表示するオゴオゴと一緒に記念撮影する場合

BALI―オゴオゴ&ニュピ



はい、ポーズ!



うんうん、そんな感じ。



右のピンクのシャツの彼、うん、わかる。



しかしポイントは表情まで真似することなんだねと教えてくれたキミ。最高!

オゴオゴと一緒に記念撮影をする場合、
オゴオゴと同じポーズをとるのはお約束のひとつです。
というのはウソですが、
カメラを向けるとごく自然にそのようにするバリニーズ男子は結構多く、
そうされるとオゴオゴもまた違った見え方になるような気がするのでした。
どのオゴオゴも一気にアニキっぽくなるというかね(かなり個人的な見解ですが!)。

この記事のみを表示するオゴオゴ応援隊の楽器

BALI―オゴオゴ&ニュピ



カットした竹筒に好きな模様をペインティング@デンパサール・2000年。



絵を描いているのはオゴオゴチームの10歳以下の男の子たち。
絵柄や色使いがなかなかポップ。



が、翌年の2001年はポップからパンク調に。
単色使いのハードめペインティングが流行。
竹筒の裏側は音が響くように細長くくり抜いてあり、
オゴオゴを担ぐことがまだできない小さな男の子たちは
このお手製バンブー楽器を威勢よく鳴らしながら、
自分たちのグループのオゴオゴの後をついていくのでした。

この記事のみを表示するある夜の新橋にて

FOODS



先日の夜のこと。
仕事の打ち合わせで久しぶりに会ったTさんと
「これからかるーく焼鳥とビールでもどう?」という流れになり、
打ち合わせ先から徒歩圏内の新橋の飲み屋街をぶらぶら。
とくにあてもなく、ちょっと気のきいた飲み屋はないかねーと
しばしさまよっていた我々の目にとまったのが、「焼鳥山」の赤提灯でした。
焼鳥山。まず惹かれたのはこのネーミング。
それで「こりゃ気になるよね」とお店の前まできてみたら、この看板。
いかす。マジいかしてるよ~!!



「焼鳥」山のはずなのに、オーダーした「おまかせBコース6本セット」(Aコースは10本セット)は
すべて豚バラ肉。
焼鳥モード全快だったTさんは一瞬意表を突かれたようでしたが、
「きっと福岡のお店なんだ」とかつて福岡に住んでいたことのある彼はすぐさま判断。
お通しがてんこ盛りの生キャベツだったのですが、
「こういうのも福岡にあった」と。
(それで私も福岡出身の友達から以前いただいたキャベツのうまたれを思い出しました)
さらに焼酎メニューも大充実だったので、そうかそうかそうなのかと納得。
でもって、この豚バラセットもキャベツ(多分「うまたれ」かけ)もかなり美味しかったです。
追加でオーダーした焼きおにぎりとかも全部!

そして飲み食べ話に夢中になっていてその時は気づかなかったけど、
この看板のお相撲さんとお店の大将の顔はそっくりだ。
大将、もしや元力士とか…?

多分Tさんと会ったのは2年ぶりだけど、ここ最近の時事ネタ話でおおいに盛り上がり。
盛り上がったけど、しかし1カ月後もたったらもうすっかり忘れて話題にのぼることも
なくなりそうな話も多そうな感じもして、どうでもいいんだけど何となくメモっておきたい気分。
この時話した主な時事ネタキーワード→紅白、DJ OZMA、あるある、納豆、東国原知事、
かおりん、新垣結衣ちゃん(ポッキーCM)、タカアンドトシ、植草教授。
上記すべてを時事ネタでひとくくりにしていいのかというのはありますが、
それぞれのキーワードにおけるTさんの見解は、Tさんにしか語ることのできない
オリジナリティにあふれるもので、私は笑ったりうなずいたり反論したりしながらも少し感動。
なんだか自分にしかわからないただの日記と化していてスミマセンが、
一般論とか正論とか関係なく、こういう話題をイヤミなく揺るぎなく暑苦しくなく
自分の言葉で話せる人っていいなぁとか思って。
いかす焼鳥屋さんで、非常に楽しく飲めたひとときでした。

この記事のみを表示する1997年のオゴオゴ探し⑧サカ暦1919年のニュピを終えて

BALI―オゴオゴ&ニュピ



 まだオゴオゴというものを知らなかった95年、とある宿で働くバリニーズ男子と
他愛のない話をしている時に、「バリは楽しい?」と聞かれました。
「うん、とっても楽しいよ」
 そう答えると、彼はにこにこーっとうれしそうに笑ってこう言いました。
「僕もバリ人だけど、バリがとっても好きなんだ」
 そういうことをまっすぐに口にするバリニーズを目の前にしたのはその時が
初めてだったので、妙に心を打たれました。
「バリのどんなところが好きなの?」
 私が尋ねると、彼はすごーく照れくさそうに「うーん…」ともじもじしながらも、
またくもりのないまっすぐな目で答えてくれました。
「平和で、若いパワーがあふれているところかな」、と。
 バリが平和だという感じは私にもよーくわかるのだけど、若いパワーという言葉には
いまいちピンときませんでした。
 若者はいっぱいいるけれど、みんななーんかダラダラしているじゃないかーと(当時の
私の大ざっぱな印象です)。

 今でも彼の言った「若いパワー」の意味は正しく理解できていないかもしれないけれど、
この年、いろんな人の協力や助けを得て、やっとテガリンガ村でオゴオゴを、
そしてそれに携わる若者たちに出会うことができた時に、
その「若いパワー」という言葉をふと思い出したのでした。
 それにちょっとだけでも触れることができたかも。そんな気がするなーって。

 そしてまたひとつバリを好きになって旅を終えた1997年でした。
 


97年の話はこれにて終わりです。
この長文シリーズを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
しかし勝手にオゴオゴキャンペーン中につき(意味不明なキャンペーンだけど・汗)、
オゴオゴの話はこれからもぽつぽつアップしていきたいと思っています。どうぞよろしくです。
(このオゴオゴの写真は99年のデンパサールにて)

この記事のみを表示する1997年のオゴオゴ探し⑦ロスメンで過ごすニュピの巻

BALI―オゴオゴ&ニュピ



よくよく考えてみれば、日本で暮らしている日々の中では
家から一歩も出ない一日もあったりするわけですが。
でも海外旅行先で、外に出ちゃ行けないと決められている日があるというのは
どんなものなのだろうと、ニュピを体験するまでは思っていました。
外出禁止という「決まり」によって、観光客の自分は退屈死しかねないんではないかと。

それが今ではもう、ニュピなしには自分の一年のリセットもリスタートも
できない~とまで思うように(そもそもいろんな面で思い込みの
激しい性質っつーのもあるんですけど)。
私にとってはただひたすらぼーっと過ごすだけの一日だけど、
それがやっぱりしみじみと貴重だなぁと。
意外とやろうと思ってもそうそうできることではないというか。
とくに年をとるにつれてそんな思いが深くなってきました。

オゴオゴとは関係のない、どうでもいい話なのですが、
97年、トゥブサヤのロスメン『スワスティカ・ロッジ』で
過ごしたニュピの日のことを今回はだらだらと書いていきます。

この記事のみを表示する1997年のオゴオゴ探し⑥ニュピ前夜の一人歩きにはご用心の巻

BALI―オゴオゴ&ニュピ



97年の話なのに93年の写真でごめんなさい@ウブド

(前回からのつづき・テガリンガ村のオゴオゴを見てウブドに戻ってからの話です)

 ニュピ前日の夜、私はウブドに滞在中の友達Nちゃんと一緒に、Jl.Monkey Forestにある
『カフェ・ワヤン』に食事に行った。
 このお店の場所は、私の定宿(当時の)『SUWASTIKA』のあるTebesayaからは結構遠い。
ちゃんと計ったことはないけど、歩いて20分くらい? お店に向かって歩いている途中で
いつも「まだまだ先なんだっけ」と思ってしまうぐらい、意外な距離がある。

 それでも行きはよいよい。帰りはつらすぎた。

 明日のニュピのために、すでに皆里帰りをしてしまったのか、街にはほとんど人けがない。
いつもは「トランスポート、トランスポート!」としつこく声をかけてくる白タクやバイクタクシーも
いない。
 なのに、やたらと爆竹を鳴らして遊んでいる地元のヤンキーだけはいる。
人の足元を狙って投げつけてくる節もあって、めっちゃくちゃ怖い。
 いちいち「ギャー」だの「ヒー」だの叫び声をあげてしまう。

 いつもの道のりよりもずっと長く感じる。だいたい、バリにきてからというもの車にばかり
乗っていて、体もなまっているのだ、そもそも。汗だくだ。私もNちゃんも何だか無口だ。
わざわざ遠くのカフェ・ワヤンに行ってしまったことをふと後悔する。でもご飯はおいしかった。
おいしかったんだよ。
 裏道を通れば早く着くのはわかっているが、真っ暗な道は怖い。
どこから爆竹が飛んでくるかもわからないし。
 ぐるっとプリアタンのほうを回って帰る方法を選ぶ。
 Nちゃんはまた違う通りにある宿に泊まっているので、ギリギリ一緒に行けるところまで行く。

 Nちゃんと別れて一人で歩き始めると、恐怖は倍増だった。なんでこんなに遠いんだー。
 ひたすら急ぎ足で歩く。汗でTシャツが背中に貼りついている。早く帰ってシャワーを
浴びねばー!
 下を向いて、必死で足元を確かめながら歩いていた。明かりがなくて暗かったから。
 宿まであとどのぐらいだろう? そう思ってふと顔をあげると、なぜかすぐ目の前に
見知らぬじいさんが立っていた。思わず「ヒッ!!」と声が出る。
 い、いつの間に? だ、誰なの、このじいさん……。すると、じいさんはスーッと闇に消えて
行った。足音もなく。
 何?何だったの?あまりにも怖すぎる。ゆ、ゆーれい?

 その後はバカみたいな早歩きになった。まるで一人競歩だ。ヘトヘトになって、ようやく宿に
たどり着いた。
 部屋のテラスであーよかったぁと心底ほっとしていると、宿のオーナーのALITが
紅茶と甘いお菓子を部屋に運んできてくれた。涙が出そうだった。

*追記
この出来事によって、ニュピ前夜の夜道の一人歩きは厳禁であるという
教訓を得たのですが、なのに2003年のニュピ前夜にもサヌールで
また同じことをやっちゃったのでした。

この記事のみを表示する1997年のオゴオゴ探し⑤いよいよ本番!の巻

BALI―オゴオゴ&ニュピ



1997年4月8日、ニュピ前日のテガリンガ村@タバナン
(前回からのつづきで書いていきます)

 隣村のワルンで食事を終えてテガリンガ村に戻ると、村の若者たちはオゴオゴの行進の
ために着替えをすませていた。
 ほんの1時間ぐらい前まではダラダラのんびりしていた人たちが、顔つきまで一変して
キリッとしている。なんだか、すごーくかっこいいぞー。
 彼らはライスワインの回し飲みを始めた。こうして祭りの前に仲間同士で酒を酌み交わして
気合を入れるのは万国共通なのか。
 いいね、いいねー、昼間っから飲むお酒。と祭りとは関係ないことをひとり思っていると、
この村までつれてきてくれたデンパサールのヘッドマスター・KADEKさんが何やらブツブツ
言っている。
「うちのグループはライスワインじゃなくて、ビールを飲むんだよね」
「へぇー、そうなんだ」
 でもライスワインに比べたら、どう考えてもビールは高くつくはず。
 そんな私のビミョーな疑問を察したKETUTが解説してくれた。
「なんで高いビールが飲めるかっていうと、KADEKのグループの中には日本人女性と結婚した
人がいるんだよ。だからその人がスポンサーになってくれるわけ」
 あ、あーそー。

 我々がどうでもいいバカ話をしている傍らで、山車を出す準備は着々と進められていく。



゛男の世界"としかいいようがない、
ストイックな雰囲気がどんどん高まっていったオゴオゴ行進前のテガリンガ。
 別に誰にも拒まれることはないけれど、だからといってあんまりズカズカ入り込もうと
しちゃいけない世界なんだ、と肌で感じました、何となく、でもはっきりと。

この記事のみを表示する1997年のオゴオゴ探し④テガリンガ村のオゴオゴの巻

BALI―オゴオゴ&ニュピ



またまた画質の悪い写真で大変失礼しますが、↑バニヤンツリー@バリです。



前回の記事で、ヘッドマスターに促されて撮影したオゴオゴ@テガリンガ村の後ろ姿です。



↑個人的にとくに注目したのがオゴオゴのモサモサの髪の毛だったのですが、
この髪の主な素材として使われているのがバニヤンツリーの枯れ枝とのことで、
へえ、こんな風になるんだーと感心したものでした。

オゴオゴ探し自体は前回の記事で「出会えた!」ので、
とりあえず「探し」の部分は完結した感じですが、
この年のニュピの日の話までこのタイトルのまま続けたいと思っております。
もうちょっと続きますが、どうぞよろしくお願いします。

今回はようやく出会えたテガリンガ村のオゴオゴのことを。

この記事のみを表示する1997年のオゴオゴ探し③つ、ついに!!の巻

BALI―オゴオゴ&ニュピ



1997年のオゴオゴ探し①
1997年のオゴオゴ探し②
と、インドネシアの総選挙につき今年のオゴオゴは禁止!
といわれているにも関わらず、どこかでこっそり作られているはずのオゴオゴを
ひとつでも見たい~!と探し回った1997年の記録をアップ中です。
本来ならばオゴオゴのパレード(というか練り歩きというか)があるはずのニュピ前日、
ようやく「タバナンで作られているオゴオゴを見た」という確かな情報を得て
タバナンの村へと向かったわけですが、
その村で会った子どもに「オゴオゴはない、燃やされた」と聞いて、
びっくり仰天!! のつづきです。

しかしこの先、今自分で当時書いたものを読み返してみると
よくわからない点や矛盾点などがボロボロ出てきてます。
ヒアリング力がものすごく低かったんだなぁ(今もそうだけど)。
そのあたりも自分で突っ込みつつ、つづけます…。