猫とワタシ

BACK TO BACK

背中合わせのNight&Day

この記事のみを表示するねこの日

ニャーちゃん



ある夜、ねこベッドの中で寝ているニャーちゃんのそばでうたた寝をしていた。
目を覚ますと、ニャーちゃんがねこベッドから顔だけ出して寝ている。
いつもはベッドの中で丸まっているのに。
わたしがそばにいるから顔を出してくれたんだな、と寝ぼけながら思った。
ニャーちゃんの寝顔はとても幸せそうに見えた。
自分が幸せだからそう見えたのかもしれない。
とにかくそのとき、とても実感したのであった。
ああわたし、このこに好かれているのだなあ、と。
気持ちが通い合ってるなあ、と。

ずっと心を温めてくれる記憶。

この記事のみを表示するアンダー・ザ・ちゃぶ台

ニャーちゃん

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27、8歳の頃だったと思うけれど、家に遊びにきた友人と畳の上にごろんと横になって、↑の写真のようにちゃぶ台の下のあっちとこっちでお互いの顔をのぞきながら他愛のないことをだらだら話した。
話の内容はほんとうにどうでもいいことだったはずだけれども、そんなふうにちゃぶ台の下で話しているというだけで、秘密の打ち明け話でもしているような親密さや楽しさがあった。

会話がふっと途切れたときに、ちゃぶ台の下のあちら側で友人がぽつりと言った。

「こういうことも、そのうちできなくなるんだね」

当時はお互いまだ若く、いろんな意味で自由だった。
時間を気にせず、いくらでも話をすることができた。
だけどそれは人生のある一時期だけのものなのだ、ということを彼女はよくわかっていたのだと思う。

そして確かに、そんな時間はもう二度とやってこない。

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ニャーちゃんともよく、お互い寝そべって言葉なき会話を交わしたものです。
しあわせな思い出。

できることなら、また猫と暮らしたい。

この記事のみを表示する猫姫さま

ニャーちゃん



読者の方のお話は笑えないけれど、村上さんの「猫宮城」にはつい笑ってしまった。
本日の村上さんのところでのこちらのやりとり

以前、ニャーちゃんが寝ているわたしのお腹をふみふみしていたことを書いたことがあるけれども、横向きに寝ているわたしの背中を肉球でもみもみしてくれたこともあったことを思い出しました……
自分は半分寝ているのでその感触を十分に堪能できていないのだけれども、ニャーちゃんがひたむきにもんでくれていたことは憶えてます。
猫と生活を共にするのは、人生における最も幸せな体験のひとつでありますな。
我が家が猫宮城だったようなものですもの。
うちの猫姫さま、かわいかったな、ほんとうに。

そして過去にも何度か引用していますが、あらためて再び。

多くのみなさんは猫というのは一日ひなたでごろごろして、ろくに仕事もしないで、
まったく気楽なもんだというふうに考えておられますが、
猫の人生はそれほど牧歌的なものではありません。
猫は無力で傷つきやすいささやかな生き物です。

『海辺のカフカ』(上)/村上春樹(新潮社)より

この記事のみを表示するニャーちゃんはクイーン

ニャーちゃん



明日は2月22日、ねこの日。
久しぶりに思いっきりニャーちゃんのことを書くどー!

ええとファンの皆様におかれましてはひんしゅくを買いそうな話ですが、先日キヨシローの映画を観ていたときに気づいたあるひとつのこと。
それはキヨシローの歌の「君」とか「あの娘」を「ニャーちゃん」に置き換えると、わしの気持ちにハマリすぎだぜっ、ってな曲が多いことです。

たとえば『デイ・ドリーム・ビリーバー』

もう今は ニャーちゃんはどこにもいない
朝早く 目覚しがなっても
そういつも ニャーちゃんとくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり

ずっと夢を見て 安心してた
わしは Day Dream Believer そんで
ニャーちゃんはクイーン

でもそれは 遠い遠い思い出
日がくれて テーブルにすわっても
Ah 今はニャーちゃん 写真の中で
やさしい目でわしに微笑む

ずっと夢を見て 幸せだったな
わしは Day Dream Believer そんで
ニャーちゃんはクイーン

ずっと夢を見て 安心してた
わしは Day Dream Believer そんで
ニャーちゃんはクイーン

ずっと夢を見て いまもみてる
わしは Day Dream Believer そんで
ニャーちゃんはクイーン

ずっと夢を見て 安心してた
わしは Day Dream Believer そんで
ニャーちゃんはクイーン

ずっと夢を見させてくれて ありがとう
わしは Day Dream Believer そんで
ニャーちゃんはクイーン


どうよこれどうよ、どうなりよ~~~~ハマリすぎやろー

あとね、前にもブログに書いたことがあるけれども↓この曲なのですわ、なんつっても。



Hey 会いたい猫がいるんだ
どうしようもなくどうしようもなく
Hey 会いたい猫がいるんだ


これに尽きる。
いまでも、ずっと変わらず、わたしの愛のすべて。
ニャーちゃん。

会いたい会いたい
会いたい会いたい


それにしてもキヨシローってやっぱりすごいな(詞を書き写していて改めてしみじみと)

この記事のみを表示するしあわせとは

ニャーちゃん



ねこの鼻くそをとってあげることでもあったな。

最初はちょっといやがりつつも委ねてくれて、取り終えた後はお互いすっきりいい気分(ええ、ねこのほうもきっと)。

「○○してあげる」という言い方は好きじゃないので極力使わないようにしているつもりだが、ねこ(あるいはひと)の鼻くそに関しては「とってあげる」としか言いようがない気がする。
いや、手を貸す、という言い方もあるかな。
なにせねこは自分の手で自分の鼻をほじれない
(しかもニャーちゃんは鼻炎気味で鼻をつまらせがちだった)。
でもなー手を貸してくれと頼まれたわけじゃないんだよなー。

この「○○してあげる」については、木内昇さんの『みちくさ道中』の中にある『最軽量の「あげる」』というエッセイが言い得て妙で、あたしゃ膝を打ちまくり。
文中に挙げられている「あげる」の使用例もおもしろいのでぜひ同書での一読をおすすめしつつ、ここでは締めの部分だけ引用させていただきます。

 でも「誰か」や「なにか」に「してあげる」ことはそう簡単なことではない。だいたい「あげる」という半端な心根でなす行いが、他を助けたり救ったりできようか……とつい悶々とする私は、やはり頭の固い昔かたぎの人間なのだろう。

「半端な心根でなす行い」……耳が痛いざます。

ちなみにこのエッセイ集からわたしが感じる木内昇さんの人となりを一言でいうなら「端正」。
文章も端正。好きですー

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ニャーちゃん



LOVE

この記事のみを表示するねこのめ

ニャーちゃん

現在のわたしの住まいは、狭くて急な外階段をカンカンカンと上って玄関ドアを開ける、
築50年超のザ・昭和なアパートである。

先日のある夜、出かけるために玄関ドアに鍵をかけていると、
外階段の下から不意に視線を感じた。

暗くてはっきりとは確認できなかったが、
白っぽい毛をした猫が外階段の下に座って、
じーっとわたしのことを見ていたのであった。

猫をじーっと見つめることならよくあるけれど、
猫からこんなに見つめられることはそうそうないのでドキッとする。
そしてお互い、まるでへびににらまれたかえるのように(なぜわたしまで!?)
固まったまましばらく見つめ合った。

が、わたしが階段を下りようとすると、猫はさっと逃げた。

道に出ると、その猫は近くの植え込みの中にいた。
わたしに背を向ける格好で座っていたが、
わたしが出てきた気配を背後から感じ取っている様子が伝わってくる。

近づくと、また逃げて行ってしまった。

たまたま偶然通りかかったに過ぎないとはわかっているけれど、
もしかして、なーんて自分に都合のいい想像をついしてしまう。
もしかして、ニャーちゃんが今現在のわたしの様子を見てきてくれと
あの猫に頼んだのではないだろうか、
それであの猫はわたしが部屋から出てくるのを待っていたのではないだろうか、
なーんていうばかげた夢みたいなことを。

でも仮にそうだった場合、あの猫はニャーちゃんにわたしのことを
なんと伝えるのだろう。
とかいろいろ考えると今の自分ってなんなんだ、
ニャーちゃんと一緒にいた頃よりも体重が増加しすぎじゃないか、
たとえ再会したとしてもニャーちゃんがわたしが誰だかわからない可能性大じゃないか、
というムムムーな、いまさら自省スパイラルにはまっていくのじゃが。
タダグルグルマワッテイテモヤセナイナリ


ところで現在の住まいでは道行くひとたちの話し声などがよく聞こえるのだけれども、
先日のある朝はニャアニャアという猫の鳴き声が聞こえてきた。
人間に何かを訴えている感じの、意思のある鳴き声だった。
気になって窓から鳴き声のするほうを見てみると、
通りを歩く近所のお店のおかみさんが後ろを振り返って
「なに鳴いてるの、早くいらっしゃい」と言っている。
すると首輪についた鈴の音とともに猫がおかみさんのそばに駆け寄ってきた。
リードはつけていないけれど、明らかに猫と人間が一緒に散歩中。
通りすがりのひとたちが「猫とお散歩してる!」「犬みたいね~」と
口ぐちに感心しておった。

以前、別のご近所さんが猫と散歩をしていることを書いたことがあったが、
そのご近所さんも相変わらず一緒に散歩しているのを時々見かける。
もちろんリードなしで。猫がとことこ飼い主の後をついていくのだ。

うらやましいな。


この記事のみを表示するすやすや

ニャーちゃん

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猫ベッドが目の前にあるのに毛布の上で寝るニャーちゃん。
せっかく用意したのに~と思うのはあっしの都合にすぎません。
でも永遠にベッドを使ってくれなかったらちょっとさびしいな~とは思っていたけど

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そのうちちゃんと猫ベッドでも寝てくれるようになりました。



猫に限らず、大切なひとと突然会えなくなったときに、
感謝の気持ちを十分に伝えることができなかったことを
自分は深く後悔するのだろうな、とずっと思っていたのです。
そして確かにそういう後悔はこれまでの人生の中にあります。

しかし。
もっと深く深く残る後悔があることに今さらながら気づきました。

それはちゃんとお別れができなかったこと。
どんな形であれ「さようなら」と言って見送ることができなかったこと。

お別れはいつでも悲しく寂しいものだけれど、
それが時間の経過とともに自分の中でどう変化していくのかは
どんな別れ方をしたかということにかかっているのかもしれないな、という気がします。

そう、これは猫に限らずの話なんだけど。

ただふとそんなことに思いを巡らせたのは、
毎日愛読しているブログのこの記事の猫についてのお話がきっかけでした。
居なくなってしまっても、少しも変わらない。
と居なくなってしまってからもずっと思えるなんて、とてもいいな。



この記事のみを表示するにこねこにこねこ

ニャーちゃん

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つい先日、ニャーちゃんの写真を一度も見たことのない友人(動物のプロ)に会うにあたり、
ニャーちゃんがどれだけ可愛いコだったか見て欲しい!と思って、
1枚だけセレクトして持って行ったのが↑この写真。
「うわあ、こりゃあ美人だ!」と友人も絶賛してくれました。
というか、やっぱり誰が見ても美女なのよね、ニャーちゃんは……(でしょ!?)。

その友人とは古くからのつきあいですが、しばし音信不通の時期があり、
交流が復活したのはわりと最近のこと。
久しぶりに会ったらわたしがやたらとねこネコ猫~と猫に反応しているので、
「昔からそんなに猫好きだったっけ?」と友人は不思議に思ったようでした。
いーえ。昔から好きなことは好きだったけど、こんなに好きになったのは
ニャーちゃんと出会ってから、出会ったからこそです。

おかげさまで(?)、猫グッズなどをいただくことも増えました。
ありがたい! ありがとう!

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↑少し前におともだちのじーこくんからいただいた猫お守り。かわゆいっ!

そしてごく最近は、

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日本の西のほうから東の我が家へと黒猫ちゃんがやってきた~♪
いつもやさしくてかわいいバリ好きのおともだちからの贈り物です。
(※写真は職場のデスクで撮影…キーボードほこりかぶってまんなーですんまへんなー)

この黒猫ちゃん、何だと思います?
なんと、

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付箋なんですよ~(写真の右側ですよ~)

左側のマグネットも超かわいいっ。

ところであまり猫と関わりのない方は、
猫のしっぽってほんとにこのマグネットの形みたいに曲がるのか?
と思うかもしれませんね。あ、思いませんか?
とりあえず思ってくださいましね。

だってだって!

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ほらね。
曲がるんですから~!

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西の町から届いた贈り物の中にはこんな可愛い猫のマッチも♪

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そして付箋もマグネットもマッチも、こんな縁起のよい袋に収められていました。

ほんとにひとりでにこにこ(いや、にやにや?)してしまいました。
どうもありがとうー!!


この記事のみを表示する猫鳴り

ニャーちゃん

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ちょっと肌寒い日の多かった今週は、にゃたんぽ(?)が恋しくなったにゃ~
しかしそれにしてもなんて幸福そのものの写真なんだ、これ。

ここしばらくこちらのブログの課長さんに夢中でした。

そして今日は課長さんが無事におうちに帰れた! という記事を読み、
あーよかったよかったと思いました(でももう課長さんの姿を拝めないのは寂しいけど…)。

2ヵ月半も長期出張するんだね、猫も……。


あれからわたしが一日も欠かさず思い出しているのはニャーちゃんのことだけかも。
なんかこの未練がましさ、女々しさ、自分でもオスっぽいな!?と思います、にゃはは(笑い事か?)

去年の今頃まで住んでいた家の、ニャーちゃんがくつろいでいたトタンの庇↓も
もうなくなってしまった。
ちょっと前に近くを通ったときに見てみたら、
かつての住み家は跡形もないくらいにリノベーションされておった。

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そんでもって今朝は電車の中で沼田まほかるの『猫鳴り』(双葉文庫)を読んでて
涙をこらえるのが大変になって、
昼休みは久しぶりにカマターのニャンドルとらちゃんに会って
なでなでしてたらとらちゃんの猫鳴りを感じてうれしくなって、
なんだかずっと猫のことを考えています。